平成14年度 「大樹通信」巻頭言 |
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平成15年 2,3月号巻頭言 |
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平成14年 12,1月号巻頭言 |
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平成14年 11月号巻頭言 |
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平成14年 9.10月号巻頭言 |
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平成14年 7.8月号巻頭言 |
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平成14年 7月末号 |
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平成14年 6月号巻頭言 園長 髙杉美稚子 私が、尊敬する、倉橋惣三先生(わが国の幼児教育の父といわれている)の言葉は、大正時代にかかれたものですが、今尚、私たち教育者の心を揺さぶるものがあります。 と、いいますのは、上手にほめられ、上手に叱られてこなかった子どもは、依存心と承認欲求が高まる可能性があります。依存している状態というのは、自分が信じられない、自分が信じられないから相手を信じられない、信じられないから、依存することで、人を束縛し、自分の存在理由を確認しているのです。相手を信じられない人は、自分も信じられなく、自分の中のもう一人の自分が自分を認められないので、人からの承認を得ようとして承認欲求が高まるのです。しかし、自分の周りの人の承認は、時と場合と、相手によってその承認の程度が違うので、いつもふりまわされてしまいます。他人の承認は得られるかどうかは、自分ではなく相手の問題なので、そのたびに違った承認に答えていくから疲れてしまうのです。そして、自分で自分に承認を与えられないからいつも、誰に対しても満足が得られず、益々承認欲求が強くなっていくという悪循環に陥ります。幼い間は、依存していて当然です。まだ、生命を自分で保持できない状態ですから、保護され、依存していく中で、自分の生命を保持し確保していくのです。 しかし、やがて、その世界から抜け出したい時期がやってきます、自分の力でやってみたい、歩いてみたいと考える自立の時期は、やってきます。でも上手に叱られ誉められてこなかった子どもは、この自立が上手くいかないのです。誉められることでひとは、自分は十分に愛されているという感じをもちます。そして自分はここに存在していいのだという、自分を確立させます。十分に愛されている時、人間ははじめて自立します。愛されているから、その安定感、安心、信頼とやすらぎの中で、飛びたてるのです。十分に愛されていないから、安心できなくて、不安定で、心細くて、とびたてないのです。自立できないのです。いわゆる「見捨てられ不安」を持つのです。ですから、3から6歳までは、愛し過ぎるということはないのです。 私も、大学院の生活が終わり、夜中に勉強する時間が少なくなったので、4月から、水泳と、英語を習い始めました。水泳は、19歳の先生ですし、英語は、毎時間違う先生です。指導の仕方も違いますし、それぞれですが、誉められるのは、たとえ19歳の先生であれ、言葉が良く通じない、ネイティブの先生であれ、とても嬉しいものです。一つ出来るようになるたび、幼稚園の子どもと同じ様に、飛び上がって喜んでいます。(これは余談ですが、新しく何かを始めるというのは、ドキドキして、幼稚園の新任の先生の気持ちがわかってとてもよかったなとも思っているこの頃です) さあ、これからは、グチの親より、おだての親になりましょう。ご夫婦でも同じです。子どものことは誉められても旦那様のことは誉めることがないわというお母さん、頑張って10個、無理なら、5個それでも無理なら、3個ご主人や、子どもの良いところを紙に書いて壁に貼って、毎日眺めましょう、出来れば口に出していってあげましょう。いい子、良い人だといわれていると、実際に良くなる事を「ピグマリオン効果」といいます。 さて、子育ても誉めてばかりでいいかといえばそうではなく、いけないことははっきりといわなければなりません。誉めるより、難しいのが叱ることです。子育てで、区別しなければならないことは、「怒る」と「叱る」は違うという事です。子育ては「出来ないことを怒るより、いけないことを叱る」のだと覚えていてほしいのです。
その意味では叱るより誉めることのほうが難しいことかもしれません。 では叱ること誉めることだけが大事なのでしょうか?そうではありません、一番大切なのは親子のあり方です。大切なのは、認め合えている存在なのかということが大切になってきます、たとえどんなに良い誉め方、叱り方をしても、共感がなければその願いは届きませんし、たとえあまりよくない叱り方、誉め方をしたとしてもしっかり共感できていれば、すべて大丈夫なのです。誉めることより、叱ることより、この大人と共生しているという安心感を子どもが持つことが大切なのです。でもその為には、上手な叱り方、誉め方が必要なので、車の両輪のようなものですが、共感の前には、小さなものであるということも知っておいてほしいのです。 又、誉める、しかるとは、見返りを期待しない、又、そのことで依存しない、支配しないということが大切です。誉めなければと脅迫観念のように思っている親も少なくないように思います。誉めること、しかることによって親の存在を確認しているのであれば、これは親の子への依存です。親自身が自分のあるがままの姿を認められずに、自分の自己実現のテーマを見つけようとせず、我が子の生育のみに自己実現の課題を見つけようとしていることになります。そうすると子育てが終わった時に無気力になったりします。その為にも、あくまでも誉める、叱るとは、「共感行為」であることが大切なのです。同じ目線同じ気持ちになってあげることが大切です。でないと子どもの主体的な価値選択基準を奪ってしまう結果にもなります。 さて、5月のある日の出来事、運動場に整列した先生達、呼ばれていくと母の日のカーネーションと言葉のプレゼント。このように共感できる素敵な仲間達が私の側に集ってくださったことに感謝しながら、今月も子ども達の為に様々なことにチャレンジしていきたいと思います。
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平成14年 4.5月号巻頭言 園長 髙杉美稚子 ご入園、ご進級おめでとうございます。心よりお喜び申し上げます。 素晴らしい園舎で、素晴らしい教育という中身を充実させる事が出来た平成13年度でした。これからの教育の更なる充実は、私たち職員一人一人に託されています。しかし、良い教育は、一人で完成できるものではありません。子ども達がいて、それを支えてくれる保護者の方、そして家族がいて、真摯な教育をめざす仲間の教師がいて初めて一つの教育が完成されます。子ども達も、自分の力を十分に発揮してくれるでしょう。そして、最後にこの集団を、環境を作っている一員は保護者、職員、そして園児達だということを忘れずにいましょう。自分が良くなくて、自分が向上しなくて、自分が不平不満をもっていて、子ども達の為にいい環境作りが出来るわけがありません。いい環境にするためには、まず一人一人からです。一人一人が、いい環境にまずなりましょう。そして保護者も、教師も、子どもとその中で共に育ちましょう。 最初から立派な人間はいないように最初から、一人前の親も、教師もいません。 そして、感動と思い出は誰も作ってくれるものではありません、自分の手で作るのです。感動と思い出は、その人がそれぞれの立場で、精一杯頑張った分だけ平等にかえってきます。その為には「Shoud」―しなければならないーから「Will」―したい-へ心を転換しましょう。ねばならないという考えの元では、人間は必ず切れます。そして周りの人も巻き込んで苦しむのです。 |