平成14年度
「大樹通信」巻頭言

平成15年 2,3月号巻頭言
「今一度 子育てについて考えてみましょう PART3」


平成14年 12,1月号巻頭言
「今一度 子育てについて考えてみましょう PART2」


平成14年 11月号巻頭言
「今一度、子育てについて共に考えてみましょう」


平成14年 9.10月号巻頭言
「子どもが自分を認められるようになる第一歩は,自分を好きになること,そしてその為には,親自身が自分を好きでいられることが大切です」


平成14年 7.8月号巻頭言
「6月の園長の心理学講座の一部からー楽に生きるために」


平成14年 7月末号
「家庭教育をどう展望するか」 
    -夏休み、親子での体験の場を数多く作りましょう-


平成14年 6月号巻頭言
「子どもといえども、一人の人格、人間としての尊厳を大切に
誉めましょう、叱りましょう」

園長 髙杉美稚子

私が、尊敬する、倉橋惣三先生(わが国の幼児教育の父といわれている)の言葉は、大正時代にかかれたものですが、今尚、私たち教育者の心を揺さぶるものがあります。
巻頭言の最後に掲載したのは、昭和60年、今から20年前、私が始めて保護者の方に出した冊子「ママのてまくら 春・夏号」の中に入れた子育てチェックポイントのひとつです。今読み返してみてもいつの時代も教育の根本は同じだと感じるのは、私だけではないでしょう。
時代は日々変わり教育の実践、方法、環境論は、日々向上していかねばならないと考え、吉塚幼稚園では常に20年先を考え、と同時に「今を大切に」教育のあり方を進めていますが、その心は今も昔も変わりません。しかし、最近、子ども達の心を考える時、ご家庭でどのような叱られ方、誉められ方をしてきたのか気がかりになります。

と、いいますのは、上手にほめられ、上手に叱られてこなかった子どもは、依存心と承認欲求が高まる可能性があります。依存している状態というのは、自分が信じられない、自分が信じられないから相手を信じられない、信じられないから、依存することで、人を束縛し、自分の存在理由を確認しているのです。相手を信じられない人は、自分も信じられなく、自分の中のもう一人の自分が自分を認められないので、人からの承認を得ようとして承認欲求が高まるのです。しかし、自分の周りの人の承認は、時と場合と、相手によってその承認の程度が違うので、いつもふりまわされてしまいます。他人の承認は得られるかどうかは、自分ではなく相手の問題なので、そのたびに違った承認に答えていくから疲れてしまうのです。そして、自分で自分に承認を与えられないからいつも、誰に対しても満足が得られず、益々承認欲求が強くなっていくという悪循環に陥ります。幼い間は、依存していて当然です。まだ、生命を自分で保持できない状態ですから、保護され、依存していく中で、自分の生命を保持し確保していくのです。

しかし、やがて、その世界から抜け出したい時期がやってきます、自分の力でやってみたい、歩いてみたいと考える自立の時期は、やってきます。でも上手に叱られ誉められてこなかった子どもは、この自立が上手くいかないのです。誉められることでひとは、自分は十分に愛されているという感じをもちます。そして自分はここに存在していいのだという、自分を確立させます。十分に愛されている時、人間ははじめて自立します。愛されているから、その安定感、安心、信頼とやすらぎの中で、飛びたてるのです。十分に愛されていないから、安心できなくて、不安定で、心細くて、とびたてないのです。自立できないのです。いわゆる「見捨てられ不安」を持つのです。ですから、3から6歳までは、愛し過ぎるということはないのです。
でも、口先だけで、誉めるのではなく、園長用語で言えば、眼と眼をピカピカにして(アイコンタクト)「本気」で誉めて、誉めて、誉めて、その存在を認めて、励ましてあげましょう.そして、本当のことだけ誉めましょう。機嫌をとるために誉めるのは辞めましょう。おとなでも本当に誉められて嬉しいのは、自分が真剣に努力した時だと思います。何の努力もしていない時むやみに誉められるのは、おとなでも居心地が悪いものです。4歳くらいまでは、何もしない時にも誉めるのは、何もしないよりはいいですが、5-6歳になってくると、目的意識が出てきて、その目的意識と結果が一致した時に誉めらないと、本当に嬉しい、満足したと思わなくなります。そしてそのときその瞬間を捉えて誉めるのです。後で、誉めようと思っても満足間は10分の1になってしまいます。ここで大切なのは、「本気で、本当のことだけ、その時に、眼を合わせて」です。そうすれば、自分が信じられるようになります。そこでやる気、もっと頑張ってみようという気持ちも出てきます。

私も、大学院の生活が終わり、夜中に勉強する時間が少なくなったので、4月から、水泳と、英語を習い始めました。水泳は、19歳の先生ですし、英語は、毎時間違う先生です。指導の仕方も違いますし、それぞれですが、誉められるのは、たとえ19歳の先生であれ、言葉が良く通じない、ネイティブの先生であれ、とても嬉しいものです。一つ出来るようになるたび、幼稚園の子どもと同じ様に、飛び上がって喜んでいます。(これは余談ですが、新しく何かを始めるというのは、ドキドキして、幼稚園の新任の先生の気持ちがわかってとてもよかったなとも思っているこの頃です)

さあ、これからは、グチの親より、おだての親になりましょう。ご夫婦でも同じです。子どものことは誉められても旦那様のことは誉めることがないわというお母さん、頑張って10個、無理なら、5個それでも無理なら、3個ご主人や、子どもの良いところを紙に書いて壁に貼って、毎日眺めましょう、出来れば口に出していってあげましょう。いい子、良い人だといわれていると、実際に良くなる事を「ピグマリオン効果」といいます。

さて、子育ても誉めてばかりでいいかといえばそうではなく、いけないことははっきりといわなければなりません。誉めるより、難しいのが叱ることです。子育てで、区別しなければならないことは、「怒る」と「叱る」は違うという事です。子育ては「出来ないことを怒るより、いけないことを叱る」のだと覚えていてほしいのです。
出来ないことは悪いことではなく、いけないことは悪いのです。しかし、私たちが注意する時、出来ない時のほうが感情的になっています。叱るではなく怒るになっているのです。そして子ども達は出来ないことは、いけないことよりも悪いことだと認識していくのです。判らないこと、出来ないことは教えてあげれば済むことです。判っているのに出来ないなら練習をすればいいのです。
靴を早く履けなくて、その事で、怒っている母親は多くても、靴を履くことで、例えば、靴を投げたりして人に迷惑をかけていることを叱れる親が減っています。叱ることは考えてみれば日常ではとても少ないことです。例えば、身に危険が及ぶこと、法律に違反すること、人のものを盗む、人を傷つける、迷惑をかける、弱いものいじめをする、このようなことは断固として、親が命を張ってしかるべきことです。その叱り方は次のページを是非参照されてください。

上手な叱りかたチェックポイント 8
1. その行為だけ叱りましょう。
叱るのは子どもの行為であって性格や才能ではありません。性格まで一緒にして叱ると自分が人より劣った人間であると思いいじけます。
2. 悪いことをしたすぐ後に叱りましょう。
人前であろうと、そのときすぐ叱りましょう。2年生くらいまでは大人ほど自尊心は傷つきません。そのとき叱らなかったら、もう叱るのはやめることです。
3. どの行為をどんな理由で叱っているかはっきりしましょう。子どもの悪い行為を理由をあげて叱りましょう。
とっさにはなかなかでませんが大声を出したその後でいいのです。理由をつけ加えてやりましょう。
4. 叱る人の責任で叱りましょう。
母親が子どもの行為を悪いと判断して叱るのだから母親の責任で叱りましょう。他人の権威をかりて叱っても子の親に対する不信感を強めるだけです。
5. 兄弟や友達と比べて叱るのはやめましょう。
  必要以上の劣等感を持つようになり、押し付けられた劣等感は子どもの性格をゆがめます。
6. 叱るときは短く簡潔にしましょう。
叱られることは子どもにとって逃げだしたい程いやなことなのです。ピリッと短くいきましょう。
7. 他人の権威を傷つけるのはやめましょう。
「お父さんに似て○○だから」なんていうのはもってのほかです。叱っている意味がなくなってしまいます。
8. 叱ると褒めるは車の両輪と覚えましょう。
叱る事で悪い行為をやめさせ、褒める事で良い行為を繰り返しさせるのです。百回叱ったら百回褒める気持ちでいましょう。特に幼児期はスキンシップを伴った褒め方でその年齢なりに当然なことをしたときもそれを認めてほめましょう。

その意味では叱るより誉めることのほうが難しいことかもしれません。

では叱ること誉めることだけが大事なのでしょうか?そうではありません、一番大切なのは親子のあり方です。大切なのは、認め合えている存在なのかということが大切になってきます、たとえどんなに良い誉め方、叱り方をしても、共感がなければその願いは届きませんし、たとえあまりよくない叱り方、誉め方をしたとしてもしっかり共感できていれば、すべて大丈夫なのです。誉めることより、叱ることより、この大人と共生しているという安心感を子どもが持つことが大切なのです。でもその為には、上手な叱り方、誉め方が必要なので、車の両輪のようなものですが、共感の前には、小さなものであるということも知っておいてほしいのです。
叱り方の共感で大事なことは、以前から良く私が使っている言葉ですが、「私メッセージ」を使い、「あなたメッセージ」使わないことです。「あなたメッセージ」とは、「どうしてあなたは、○○するの」と相手の行動に対していう言葉、これに対して「私メッセージ」とは、「あなたが○○するとお母さん悲しい」と自分の行動、思いを伝える言い方です。「あなたメッセージ」とばかり使っていると子どもは、「べき思考」の固まりとなり、いつか切れます。そして私の人生はこうではなかったと親をうらむようになります「私メッセージ」を使えば、では自分はどうすれば良いかどうか考えて行動してくれるようになります。自分の行動を批判されないので切れることもありません。自分の考えを大事にしてくれていると共感も出てきます。
つい、いってしまったときは最後を疑問形にしましょう。「そんなことをして・・・したの?」

又、誉める、しかるとは、見返りを期待しない、又、そのことで依存しない、支配しないということが大切です。誉めなければと脅迫観念のように思っている親も少なくないように思います。誉めること、しかることによって親の存在を確認しているのであれば、これは親の子への依存です。親自身が自分のあるがままの姿を認められずに、自分の自己実現のテーマを見つけようとせず、我が子の生育のみに自己実現の課題を見つけようとしていることになります。そうすると子育てが終わった時に無気力になったりします。その為にも、あくまでも誉める、叱るとは、「共感行為」であることが大切なのです。同じ目線同じ気持ちになってあげることが大切です。でないと子どもの主体的な価値選択基準を奪ってしまう結果にもなります。
以上のようなことを子ども達と接する時に少しだけ気をつけてみませんか?きっと表情が変わってくると思います。そして最後に子ども達は、結構たくましいものだということも覚えておきましょう。案外試行錯誤をしている親のほうをしっかり見ているものです。そんなよそいきでない本音の親子関係こそが一番素晴らしいのです。

さて、5月のある日の出来事、運動場に整列した先生達、呼ばれていくと母の日のカーネーションと言葉のプレゼント。このように共感できる素敵な仲間達が私の側に集ってくださったことに感謝しながら、今月も子ども達の為に様々なことにチャレンジしていきたいと思います。
「遅くともしないよりは良い」「Better late than never」だんだん年を感じる身には力強いことわざです。この言葉を心に刻みながら・・・。
又、実践を交えて教育心理講座でもゆっくりお話し致しましょう。

 


平成14年 4.5月号巻頭言
「朝、目覚めるのが待ち遠しい
・・・そんな一年をめざして」

園長 髙杉美稚子

ご入園、ご進級おめでとうございます。心よりお喜び申し上げます。
社会の時間の流れが少し早くなった気がするのは私だけでしょうか。桜も少し季節を急ぎ、早めに咲いたようです。いよいよ、新しい年度がやってまいりました。平成14年度を迎えるにあたり、新しい園児達を迎えて、新メンバーで新年度がスタート出来る事を心よりうれしく思い、感謝申しあげます。きっと、この園児達と職員と保護者の方がめぐり合う必要があって、ここに集ったことに心から感謝いたします。
今年度は吉塚幼稚園の50周年という記念すべき特別な年として、飛躍の年として子ども達と保護者と職員という仲間と思い出に残る節目の年にしたいと考えています。
私は1、「教育は真の自立への援助の道」
  2、「教育は感動と思い出を作ること」
  3、「教育は知ることの喜びを与えること」    と考えてきました。
 このことを、昨年は1、共育 2、響育 3、驚育と考えました。
私達がめざす教育は、自立への援助として、子どもと同じ目の高さになって、同じ純粋な心をもって、子どもを取り巻く教師が、保護者がともに育つ「共育」、次に感動と思い出を持って心と心が響きあう、子ども同士、大人同士、子どもと大人が、それぞれが問い掛けたことがかえってくるそんな「響育」です。
最後に、知ることの喜びは、驚きと発見の連続を育てる「驚育」です。私は、教育は決して「競育」や「狂育」「脅育」であってはならないと考えます。
感性に裏付けられた知性こそが本当の知恵であって、ただの知識で終わってはならないのです。美しいものを美しいと思う純粋な心、あるがままの自分を認められる素直な心、自分と同じように他を認められる謙虚な心を大切に出来るこどもたちになってほしいと願っています。

素晴らしい園舎で、素晴らしい教育という中身を充実させる事が出来た平成13年度でした。これからの教育の更なる充実は、私たち職員一人一人に託されています。しかし、良い教育は、一人で完成できるものではありません。子ども達がいて、それを支えてくれる保護者の方、そして家族がいて、真摯な教育をめざす仲間の教師がいて初めて一つの教育が完成されます。子ども達も、自分の力を十分に発揮してくれるでしょう。そして、最後にこの集団を、環境を作っている一員は保護者、職員、そして園児達だということを忘れずにいましょう。自分が良くなくて、自分が向上しなくて、自分が不平不満をもっていて、子ども達の為にいい環境作りが出来るわけがありません。いい環境にするためには、まず一人一人からです。一人一人が、いい環境にまずなりましょう。そして保護者も、教師も、子どもとその中で共に育ちましょう。

最初から立派な人間はいないように最初から、一人前の親も、教師もいません。
でも、一人一人の力は小さくとも、子ども達の為に皆で力をあわせればきっと素晴らしい事ができます。一人一人が助け合えば、勇気が湧いてきます。どんなに小さな力でも、一人一人がいなければ、今年度の吉塚幼稚園の保護者、職員の人としての集団の桶は丸くならないのです。皆でその力を高めあうことができれば、もっと大きな丸い桶としての素晴らしい、エネルギーやパワーになります。職員みんなで心を一つにして子ども達の為に頑張ります。保護者の皆様も私達をどうぞ、支えてください。一人一人にはかけがえのない、その人にしかない力があると思うのです。幸せの青い鳥はそれぞれの心の中に必ずいます。そのことに気づける自分がいるかどうかなのです。だからどうぞ親として、自分の存在に自信をもって、自分を認めて、前を向いて子ども達と、私どもと共に歩いていきましょう。
親として、今の自分は未熟に思えても、その時、その時を精一杯生きて努力をしていれば、その時々ですべての人が「100点満点」なのです。それは、子ども達も、親も教師も皆同じです。皆が、自分を認められる、そんな育ちをしてほしいと願っています。
しかしながら、努力を怠った時、丸い桶の水は流れ出します。1本、1本の木が組み合わさっているのが、桶です。どんなにその何本かの木が高くても、1本の短い木があればそこから、水が流れ出していくことを私たちは忘れないでいたいものです。
そして、最終的に、子ども達が、自分が人の評価ではない、自分の中のもう一人の自分が自分を認めてあげる日、真の自立の日が迎えられる日まで頑張りましょう。そんな成長の場を共に作りましょう。この実現のために、どうぞ、手を取り合っていきましょう。かわいい子ども達の為に。次世代のために。
それは、とりもなおさず、人間として自己成長につながります。どんな時も、子ども達の為に、そして自分の為に前を向いて歩くことが大切です。失敗したら、そこで学べばいいのです。次にどうしたらよいか、考えればいいのです。怖いのは、失敗を恐れて一歩を踏み出せないことです。迷いながらも、勇気を持って挑戦する事は、人を成長させます。『情けは人の為ならず』、結果として、自分にすべてかえってきます。目の前の事柄や手段や結果のみにふりまわされず、問題の奥底にあるものに目をむけていきましょう。すべては、プラス思考です。
その為にはどうしたらいいのでしょう。今年はそのことを[A・B・C・D・E]で考えてみたいと思います。
「A」はAspire、こころざしです。最初に何かしたいと思わなければ何も始まらないということです。凍えるような朝でも人が温かいベッドから抜け出せるのは、その日にやりたいと考えるこころざしがあるからです。寝ている時の心地よさよりももっと喜びを感じるとき起きるのは苦痛ではありません。しかし、人間にとって起きたくない朝もあるでしょう。その日対処しなくてはならない難しい問題がある時、苦手な人に会わなければならない時など心おののく朝もあります。
でも、そんな期待とか不安がはじめからこの世に存在しているわけではありません。全てが自分の心の問題です。自分がそのことを楽しいと思えば期待が、嫌だなと思えば不安が湧いてくるだけです。自分に不安があるから、相手の不安を感じるのです。全ては自分の捉え方、考え方、受け止め方次第です。一度しかない人生を親としてどう生きますか?この限られた、短い人生を、どうせ、同じ生きるなら、何かこころざしを見つけて、前向きに一生懸命生きてみましょう
次に「B」Believe、信頼です。まず自分を信じましょう。そして、家族を信じましょう。「一人、一人は、いまだ、かつてこの世に存在しなかった独自の存在である。従って、自分にしか果たせなかった使命を持って、この世に存在しているのだ。もし同じ存在があったとしたら、この世に私が今いる必要はない」といったのはユダヤの哲学者、マルチン・ブーバーです。武者小路実篤も「友は友、われは我なり。されど仲良き」といっています。夫婦、親子でも同じではないでしょうか。親しくなればなるほど、その相手と一体感を求めがちです。しかしそれは本当の人間愛ではないと私は考えます。吉塚幼稚園の教育方針の「個別性と共感」は、人間関係においてとても重要であると考えます。お互いに独自の人格を尊重しあい、相手にも独自の生き方を許す心があって初めて良い人間関係が成り立つのです。従って、本当の人間愛には、一体化したいという欲望にたえる苦しみが伴うのが普通です。それにたえるには信頼が必要なのです。
次に「C」Commitです。具体的に計画を練り、予算も人も配分するという意味です。何事にも実行するには見通しが大切です。特に教育においては、今何が大切かということを明確にしながら、どう進めていったらよいかという計画―見通しを立てることなしに進めることは出来ません。そのためには、常に基本を学びながら子どもを見つめていきましょう。子どもから学びましょう。私たちは、子どもの姿を通してしか、子育ての計画を練ることが出来ないのです。ですから、しっかり見つめることができる洞察力が、感覚の鋭敏性が親、教師には必要です。
次に「D」Do―最後はやるしかないのです、行動です。人間にやる気を起こさせる為に一番に重要なことは、行動をまずしてみることなのです。やる気がおきない時も、やる気はあってもやらない時も、やる気が起きるまで待っている時も、まず小さな行動を起こすのです、そうしたら、その行動が呼び水になってやる気が起きるのです、益々やって見ようと不思議に思えるのです、まず自分から行動を起こしましょう。そして子どもと共に一緒にやってみましょう、必ず、何かが変わります。
最後に「E」Enjoyです。明るく、楽しくなければ、完全ではありません。自らを信じて、徹すれば、その場、その場ではつらいことがあっても苦を苦と感じず、明るく楽しくやっていけるのが人間、社会的動物なのです。子育ての道のりは長いです。苦しんで子育てする20年も。楽しんでする子育ても同じ20年、同じなら楽しみながら子育てをしましょう。でも振り返ってみれば短くもあります。忙しさの中で、あっという間にすぎていきます。特に30代、40代の年齢は加速するように感じます。
過ぎ去っていく日々を後悔しないためには、こころざしが大切になり、始めの[A]に戻ります。

そして、感動と思い出は誰も作ってくれるものではありません、自分の手で作るのです。感動と思い出は、その人がそれぞれの立場で、精一杯頑張った分だけ平等にかえってきます。その為には「Shoud」―しなければならないーから「Will」―したい-へ心を転換しましょう。ねばならないという考えの元では、人間は必ず切れます。そして周りの人も巻き込んで苦しむのです。
さあ、新しい一年が始まります。どのような一年になるかは、それぞれにかかっています。平成14年度、吉塚幼稚園の50歳の誕生日、きっと思い出に残る一年になります。子ども達の為に、思いを、魂を、心を、力を尽くします。一年間どうぞご協力、ご理解の程宜しくお願い致します。