平成13年度「大樹通信」巻頭言

平成14年2.3月号巻頭言
「子育てって何?
・・・いえいえ、育てられているのは親なのです・・・。
・・・教師なのです、今年も有難うこどもたち!!!」

園長 高杉 美稚子

早いもので、今年度も最後の園通信を届ける時期がやってきました。もうすぐ、進級、卒園の日もまじかですね。いつもこの時期になるとこの一年間、子ども達に何を残してあげただろうという気持ちで一杯になります。子ども達がくれたものに比べて私達が残せたものの小ささに時折、身がしまる思いがします。唯一、私達が残してあげられるものは、感動と思い出、そして子どもの心に響く教育でしかありません。
教育といえば、生まれたばかりの赤ちゃんの脳みそは4000グラム、成人の重さは1400グラム、霊長類の中で最も乳幼児期が長いのが人間だといわれています。脳がものすごくやわらかく目覚しく発達する可能性がある時期こそ良い教育が必要であるといわれて久しいですね。
 
では、良い教育とは何なのでしょうか? いい学校へ進学させる為の、個性を無視した詰め込み式の一括教育ではないことは、本園の保護者の方ならば、もう皆さんはご理解頂けている事だと思います。
五感をフルに使い、人間の体の部分をバランスよく使った家庭と子ども、自然環境と子ども、集団の中の子どもと子どもの遊びによって、脳がしなやかにたくましく育っていくのです。どんなに、高価なおもちゃを与えても、親と子ども、教師と子ども、子どもと子どもで交わされる遊びに勝るものはありません。人間の心はモノでは育たないのです。
 
さて、400万年前の猿人の脳は400グラムでした。実に今の赤ちゃんの脳と同じです。それから、人間は進化を遂げるのですが、50万年前の猿人のお母さんは、たった一人しか子どもを産まないのにその子が死んでいく現状にどうしたら子どもを死なせないでいいかと考えます。その結論は、しっかり手で抱いてあげることでした。(京都大学名誉教授 大島清による)その結果、二足歩行になったのです。立つと手が空く、空いた手で子どもを抱きしめる、そうすると子どもの様子が良くわかる、子どもの変化に気づくことが出来る、だから子どもを死なせないで済んだのです。
言葉はもたない猿人でしたが、抱きしめてあげることで、子どもには通じたのですね。もちろん、猿人の時代には栄養がなかったかもしれません。でもこんな資料があります。今世紀の初めの世界的な大恐慌の時に孤児院で、ベッドにくくり付けられたミルクを一日、3回あげていました。ところが、栄養は十分与えられているのに100%の赤ちゃんが死ぬのです。でも、唯一死亡率が50%の孤児院があり、そこを視察に訪れて見るとアンナという太ったおばさんが1日1回赤ちゃんを抱き上げミルクを与えているという報告でした。いかに、赤ちゃんは抱かれる為に生まれてくるかといっても過言ではないでしょう。
一昔前は「抱き癖がつく」とかいわれていましたが、「赤ちゃんは抱かれて育つから、いい意味で親離れが出来る」と今では断言されています。
そして母親も、小さな命を育てる為に忍耐し、我欲を捨て去ることで、母親自身も人間として成長していく第一歩を踏み出すのだと思います。人間の教育、子育ての原点はここにあると私は思うのです。しかしいつまでも抱きしめているばかりではいけないことも事実です。
愛情が足りないから、愛情を求めて、親離れが出来ないのです。十分に抱きしめて、愛されているという実感がある時、必ず巣立ちの時もやってきます。そして愛を与えるのは親の愛ですが、でも親自身の自分の中に愛がないと人に愛を与える事は出来ません。子どもを育てる時、自分の中にいっぱいの愛を育てること、即ち、自分のことが好きになること(先月の巻頭言を参照して下さい)がとても子どもを愛する為に重要なのです。
 
次に、「親」という字は「立ち木に見る」と書きます。子どもが遊んでいる、それを「手や口は出さないで見ない振りして見る」落ちかかったら、ぱっと行って助けてあげる、その目配りはしておく、立ち木の側に身を隠していざとなったら飛んでいって助けてあげる、これが「親」という字を創ったのですね。しかし、いざという時を、間違えて、どんな時も助けに行くことが増えていることが最近では問題ではあるのですが・・・。子どもは日々変化しています。その変化を十分に見ていれば、逸脱することもありませんし、子どもが離れていくこともありません。これがまた、子育ての原点なのであろうと思います。
 
そして、この体験こそが本当の感性を生んでいくのです。私達人間は進化の中で遺伝子記憶または生命記憶というものを引き継いでいるのですが、「どこかで嗅いだにおいだな」とか、「思い出」という遺伝子記憶はその人の感性によって引き起こされるといわれています。
感性が鈍ければどんなに素晴らしい遺伝子記憶を持っていたとしても宝の持ち腐れなのです。その人の潜在能力を引き出す能力を情緒というのですが、この情緒というものはただ網膜で写ったものだけではなく、心眼(マインド・オブ・アイ)で育つのです。この感性の元は乳幼児期に様々の感覚刺激でしか作られないのです。
 
感覚刺激の最も才たるものが模倣なのです。「子どもは親の言うことは聞かないけれど、することは良く真似る」といわれます。お母さんがやっていることが教育そのものなのです。
母親の洋服の着方、顔の洗い方、風呂の入り方、食べ方、言葉使い、身のこなし、全てが教育なのですね.だから「育児は育自なり」といわれるのでしょう。
だから、結論として教育とは難しいことではないのですね.子どもが育ってほしいように自分が行動すればいいことなのですから。逆に、とても難しい事かもしれませんね。しかし、自分が出来ないことを子どもに望むことのほうが子どもにとってはもっと困ったことでしょう。結果として出来なくてもやってみようとする姿勢があればいいのではないでしょうか。

子育てに遅いということもありません。始めようと思ったときからでも遅くないと思います。大変手前味噌な話で恐縮なのですが、私が3年前、大学院受験を思い立ったのは息子のことがあったのでした。幼い頃軽度のLD児だといわれていた息子も中学では剣道部のキャプテンを引き受け、その自信でその後ほとんどその症状は消失したかのようでしたが、高校受験は母親としてとても心配でした。勉強すること事態に苦痛を伴う息子に長時間試験勉強を強いることは難しいと考えた私が思いついたことは私も受験勉強をすることしかなかったのでした。親が勉強をしていれば側でする気になるだろう、少しは文字を読む苦痛も減るだろうという思いでした。
高校に合格し、その高校で入部した演劇で、全国高校文化祭の福岡大会で全国代表を務め、この春大学に合格できたのも育てるというより共に育つという気持ちが大きかったなあと思いながら振り返る3年間でありました。望外の喜びでありました。しかし、それは自分育ての3年間でありました。この春、息子の卒業と同時に私も大学院を卒業できるのは、常に息子と共に歩みたいという願いであった気がしています。それはとりもなおさず、私が息子を育てた3年ではなく息子に育てられた、親にならせて頂いた3年であったと思うのです。

長女の成人式を終え、息子の大学が決まった今、ある意味で私の子育ては一区切りが終わろうとしているのかもしれないと思うことはとても寂しいものです。それは子育てを通して自分育てが出来た、その部分が少なくなるという一抹の寂しさでもあります。と同時にこれからは子育てを通して、自分育てが出来ない部分があるということを自戒しなくてはいけないということです。年をとるごとに「自分自身を写す鏡」は減っていくのかもしれません。だからなおさら、学びが必要なのだと思います。でも又、それは新たな子育てのスタートの第一歩であるという楽しみでもあります。ですから子育てはいつでも遅くないと思うのです。

進級卒業を前にして、保護者の皆様も子育ての節目であろうかと思います.しかしどんな時も、目の前の問題に振り回されず、問題の奥底に有ることに心眼をむけ、1、体を抱きしめる、心を抱きとめる 2、自他共に愛されている実感をもつ、3、手や口を出さず、眼を離さず 4、育児は育自なり、などの「子育ての基本」を忘れないでいて頂ければ、子どもたちはしっかりと育っていってくれるでしょう。親は、あとは見守るしかありません。「待つ姿勢」こそが、又、教育の基本中の基本だからです。

吉塚幼稚園での教育も、自由と規律を大切に、その年齢ごとに必要不可欠な教育、『ひとりひとりの個性を大切にした根作りの教育』を、将来を見据えた長いスタンスでとらえ、適時適量の刺激を考えたカリキュラムでプログラミングし、だから『この時期に、この教育がこれだけ必要だ!』という確信のもとに、園児たちに体験教育を通して実践してまいりました。きっと保護者の方もこの吉塚幼稚園で、子ども達と共に感動する、そのことが、自分の生きがい、自己成長になることを感じて頂けた事だろうと思います。
これからも、互いに、最終的に子ども達が、親が、教師が人の評価ではない、自分の中のもう一人の自分が自分を認めてあげる日、真の自立の日が来るまで頑張りましょう。
これからも生きがいのある日々を共に過ごして参りましょう。子育ては苦しい時はあっても必ず夜明けはきます。そして振り返れば短くて二度とこない楽しい充実した日々であることは間違いありません。子どもたちは、5歳までの笑顔で一生分の親孝行は既に十分してくれているのだそうですから・・・・。全て、大丈夫です。
  
年長組はもうすぐピッカピカの1年生、きっと期待で夢一杯の事でしょう。負担になる言葉かけは慎んで、子どもと共に、進級を喜んであげられるお母さんでいて頂きたいと思います。この機会に1年間で作った物を取り出しておしゃべりしたり、一緒に整理したりして、進級を楽しく迎えてほしいと願っています。ゆっくりお母さんと一緒にお風呂入って、今迄の幼稚園時代の事を振り返り、これからの小学校について語りあう事も、子どもにとって人生の節目である事を理解させるよい機会となる事でしょう。
 
平成14年度は吉塚幼稚園も50周年を迎えます。私事ではありますが、理事長先生も米寿(88歳)を迎え喜びの多い一年を迎えることになります。
この子がいるから親でいられる、教師でいられることに感謝しながら これからも、この幼稚園から50年、100年といつまでも大きなエールを送っています。
最後に、私の好きな言葉を贈り、今年度最後の園通信をお手元にお届けします。

 

平成13年12月.平成14年1月号巻頭言
「年末,年始にゆっくり子育てについて
   もう一度考えてみませんか?」

園長 高杉 美稚子

@ お父さん、お母さん自分の事好きですか?
子育てでとても大切な事、それは「自分の事が大好きになれる子どもに育ってほしい」と言うことです。自分が好きになれたら、自分の命も、他人の命も大切にしますし、自分の心にも他人の心にも気持ちが傾けられて優しくなれます。優しいとは時にきびしい事も含みますが。では、どうしたら自分の事を、好きになってくれる子育てができるのでしょうか?
その為には、自分の事を好きでいてくれる人がいなくてはなりません、十分に愛されたとき、人は自分の事を愛することができるようになるのです。その為に、お父さん、お母さん、子ども達をまず大好きになってください。最近子どもを愛せない両親が増えているそうです。子どもを好きになる為には、お父さん、お母さんが自分を好きにならなければいけませんね。元論人間には、完全無欠な人なんていませんから、全部好きになってなんて言うつもりはありません。全部素晴らしいとなってしまっては、努力する事も、発達することも必要なくなってしまいますから。
人間は欠点があってもいいのだと思います。自分の全部に満足していなくても、その欠点を含めて、まず自分の事を好きになりましょう。その為に、時には、自分を誉めてあげましょう。そして、今日の自分を誉める為に、自分自身の為に、ささやかな、例えば、プリン一個でも自分の為にプレゼントを買ってあげるのもいいですね。
A 自分が望むような子どもにしていませんか?
先日、入園受付が終わりましたが、こんな質問がなんと多かったことでしょう。「こんなに悪いんですよ。こんなに手がかかるんですよ。幼稚園で大丈夫ですか」
もちろん私の答えは、「家と違うところってことが分かるから。ないているんですよ。そのことが分かるいい子ですね。だから大丈夫。親の前で悪くなるのはあたり前。親の前でいい子で、他人の前で悪いこの方が大変、だから大丈夫。」
親の前で安らげない子どもは親の前でいい子です。でも、こういう子どもはいじめで自殺するほど苦しんでいても親にはなかなか話せないのです。親に気を許していないからです。親に遠慮しているのです。くつろげる場がない子どもはかわいそうです。親の目から見て、いつも、自分の欠点や弱点を出している子どものほうが安心です。
最近の大人は、自己愛的傾向が強くなっていますから、自分の望むような子どもになってもらおうとしすぎています。
ですから、本来は子どもの喜びが親の喜びのはずなのに、子どものほうが親の期待を敏感に感じ取って、親の喜びが自分の喜びになってしまっていい子になっている子どもが少なからずいます。その結果、子どもの自主性を奪ってしまっているのです。思春期になるまでは、親の保護的な世界で生きていられるわけですから、子ども達はいい子でやってこられますが、保護的な世界を出て、仲間との本格的な生活が始まろうとするときに自分が育だたないで来た子どもは仲間に入って行けず、萎縮してしまいます。典型的なケースでは拒食症になったり、情緒障害になったりします。ですから、子どもに過剰に望みをかけることが困るのです。親の喜びを自分の喜びにする子に育ててはいけないのです。
B 子どもの願いを受け止めていますか?
本来子どもは、何でも、自立して行動したがっているのです。失敗をしたり、イライラしながらも、自分ひとりで何かが出来た時、初めて充実した気持ちを味わうのです。そういうことを一つ一つ出来る事によって自信を持ち、主体性を持っていくものなのです。
その為には親が、子どもが望んでいる事を本当に受け止め、満たしてあげ、やりたい事を助けてあげることが大切です。ところが親の考えを押し付けたり、過剰期待したり、強制をする場合は自立を奪ってしまうのです。
では子どもの望みはどれだけ満たして上げればいいのでしょうか。
子どもが、本当に抱っこしてほしい時には、しかたないからではなく、ある種の喜びや生きがいを持ってやってあげるのです。いつでも抱っこしてもらえるとこどもが理解をしたら、子どもは満足して親からすぐに離れていきます。親が面倒くさがっているからいつまでも、尾をひいてしまうのです。
子どもの気持ちを親が十分理解しなかったり、親の一方的な感情を子どもに押し付けていると子どもはあれこれと際限なく要求してくるように思えるのです。
C 待つという気持ちをわすれていませんか?
子育てで最も大切な事は「待つ」ことだと私は考えます。時に待てないこともあるでしょう、でも大切な事は、「ゆっくり待っていてあげるから心配しなくていいよ」というメッセージをいつでもいいから、どう伝えておくかということです。
こちらがあせっていると子どもはもっとあせります。ちょっとやってだめそうだと移り気を起こして何をやっても成果があがってくるまで待てなくて自身を無くしていきます。
ですから、こちらが子どもの成長発達をゆっくり待ってあげる姿勢を普段から持っていてあげるとそれが子どもにも身につきます。忍耐強くなるのです。
育児をする上でとても大切な事は、子どもに生きていくための自身をつけさせることです。それはどうやれば一番いいかというと、子どもにとって、親が一番のサポーター、理解者であることをわかってもらえればいいのです。待ってあげる姿勢は、子どもを十分信頼しているということ。理解者であることを伝える一番の方法になるのです。
D ありのままの子どもを受け入れていますか?
ありのままの自分を受け入れてもらえるということは、子どもが自分はこのままでいていいのだという安心感を持つことが出来ます。それが自信に繋がっていくのです。
人間は人生の早いうちにか可能なかぎり受容される経験が必要なのです。その経験があると、安心して生きていけるし行動できるのです。
人間は誰しも安心して生きて生きたいから、自分のことをありのままに認めてくれる人を見つけようとします。まず親に求め、そして親に十分に認められると、無理をして友達を求めないで、むしろ、友達を承認していくことが出来るようになります。余裕が出来てくるのです。が、親の受容の足りない子どもは誰かに認めてもらおうと友人を、次々と見つけていきます。でも相手には受け入れられないので、孤立しがちな状態になり、長い間、友人に恵まれない子どもが多いようです。つぎからつぎに先生や、友達に付きまとうという行動とる子どもが最近は少なくないと聞きます。
大きくなるとお互いを受容しあう相互依存の関係で生きていくのですが、早い時期に十分な受容や承認を得られていないと、相手を受容しやすい感情が育っていませんから相手からも承認を得にくく友達もできにくいのです。
親からの愛情が不足するとずっと年上の人との恋愛で過去の愛情不足を補ったりすることもあります。
だから親は必要なだけ子どもをありのままに受け止めてあげる必要があるのです。
E 子どものお手本になっていますか?
  人間の子どもは、身近にいる人をお手本にします。もうすぐ、雅子妃殿下が出産されますが、雅子様がご成婚されたとき、おかあ様がいった一言を私は忘れることが出来ません。
「この子が見ていると言う気持ちで子育てをしてまいりました」と言う一言でした。まさに、見本としての親のあり方をあらわしている一言だと思います。このお母さんにして雅子妃殿下が誕生したのだと思ったものでした。
この例を見るまでもなく、「狼少女アマラ」の話は皆さんも良くご存知のことでしょう。
子どもに思いやりのある、心の温かい人に育ってほしいと願う保護者の方は、こんなふうになってほしいと言う姿を自分の姿でよく見えるように生活していればいいのです。
ところが自分がそうしない人は、そうしないから、口でうるさく言わないといけないのです。でも子どもは親の言うことはきかないけれど、親のしていることはよく学ぶのです。
これからは、口で行う子育ては止めて、心とか物腰、行動で教育して下さればそれが一番素晴らしいですね。
F自分が幸せですか?
  思いやりは一緒に喜び、一緒に悲しむ−「共感」―がなければ育ちません。相手に共感がもてるとは一体どういう事なのでしょうか。自分が幸せでないと、こういう感情は持つことが出来ないのではないでしょうか。それは、自分自身が幸せになれないと人の喜びを喜び、悲しみを悲しみと感じることは出来ないからです。では幸せとは何でしょうか。
同じ条件、状況であっても幸せと感じる人とそうでない人といるでしょう。あるいは同じことに感謝できる人とそうでない人といるでしょう。
  私は、幸せかどうかはとは「そのことに感謝できるか否か」ではないかと思うのです。別の言葉では感謝の気持ちのない幸福はないと言い換えることが出来ると思います。
  現代は生産と消費の量でその文化を図ろうとしてきました。その為にいつも欲求不満でいる仕組みにならされてきました。ですから満足するとか、感謝するといった気持ちを失って来た気がするのです。
  でも、この感謝をするということが心から出来るかどうかと言うことは、日常的な幸、不幸を決める上で、とても大切であろうと思います。何事も当たり前だと思っていては幸せな気持ちにはなれないのではないでしょうか。
  「感謝するから、幸せに感じる」、「幸せだから感謝できる」表裏一体ですが、そこに、大切な何かがあるように思います。
  幸福な人に育てられないで子どもが幸福になるなんてことはありえないし、まず自分自身が幸せでなければ、子どもを幸せにすることなんか出来ないと思います。ですから、子ど もを育てることが喜びであり、幸せであると言う人に育てられる子どもは本当に幸せです。
  幸せな人、思いやりのある人、感謝できる人、共感できる人、人の喜びを喜びとし悲しみを悲しみと出来るそういう人たちのそばに子どもがいられると言うことは大きな幸福だと思います。少しづつでいいから、そういう風なおとなになれるように心がけたいものです。

 

平成13年11月号巻頭言
『実りの秋を迎えて』

園長 高杉美稚子 

本格的な秋がやってきました。
秋といえば、スポーツ。
子どもの体の発達には、背が急に伸びたり、急に大人っぽくなるような成長の時期がありますが、運動能力の発達にもそうした時期や段階があります。それぞれの時期にあった運動をさせることが望ましいことは言うまでもありません。
又、子どもは、大人の縮小版ではなく、骨や筋肉、間接は未熟で壊れやすいものです。その為に、出来るだけ、多くの道具や遊びの種類によって、その中から、一定の動作ではなく、様々な動作の習得をさせることが大切です。
始めて出来た動作の喜びは大人が考える以上です。その子の得意な動作や新しく出来た動作に対する保護者の方の惜しみない誉め言葉が次のステップの始まりであり、子どもの積極的な運動への参加を引き出します。他の子どもと比較しないで、あくまでも楽しい遊びを通して多くの動作を身に付けさせ一歩ずつ運動能力を伸ばしてあげることが大切です。子どもには、大人には生じない故障や病気もあるし、成長痛もあるので、痛みを訴えたり、歩き方が変なときは専門医に相談してみましょう。

秋といえば、食欲の秋。
栗、柿、なし、おいも、本当に果物が、おいしい季節到来です。気になるのはウエスト周り。おいしいものにはかないませんね。でも最近、飽食の時代にあって、『味覚障害』の人が増えているのだそうです。文字通り、味に対しての感覚が鈍くなってしまったり、渋みなどを何もない口のなかに感じたりすることです。これは、中高年に多い症状なのですが、その背景を考えると、幼児期の食事のあり方にも問題は広がります。
日本大学医学部耳鼻咽喉科の教授の冨田寛先生の話しによると、飽食時代の栄養の片より、偏食、又、家庭の食卓で、加工食品への依存が高いことなどによるそうです。
味覚障害の一番の原因に挙げられるのは、『亜鉛欠乏症によるもの』だそうですが、鉄の欠乏が貧血を起こすことは知られていても、亜鉛欠乏の症状は一般的ではありません。
亜鉛は、新陳代謝の激しい細胞が必要とし、たんぱく質などの合成、あるいは、遺伝子の合成にかかわってくるそうです。
このため、大人は『味覚障害』という症状で現れますが、子どもでは、成長が止まったり、男性精器の発達が遅れたり、口、目のまわり等の皮膚病、あるいは脱毛、爪の異常といった多くの症状と結びつきます。
こんな大切な栄養素も体内では作られない為に、食事で摂取しなければなりません。しかし、成人で一日15ミリグラム必要な亜鉛は、普通の和食でも9ミリグラムしか取れないのです。つまり、意識しないとなかなかとりにくい栄養素だといえるでしょう。
更に恐ろしいのは、食品添加物の影響です。品質改良剤、決着剤と呼ぶフィチン酸は、亜鉛の吸収を妨げ、ポリリン酸ナトリウムは体内の亜鉛を対外へ排出させてしまいます。
その中で健康を守るには、安全な食品を選び、それを家庭で調理すること、意識して亜鉛の多い食品をとることとなります。
又、味の認知能力は、経験と学習が大きな要素であること、そして「3歳くらいまでに覚えさせた味の思考は大人になってからのものよりはるかに結びつきが強い」として、幼児期の味の初期体験が重要だと「富田先生」は説いておられます。
添加物で固められた人工的な味ではない、家庭の安全な自然のおいしさを、この秋子ども達に伝えることがとても大切であると思います。

さて、幼稚園で秋といえば、廃物利用の作品展。
ティーム保育でのスタンピングや小麦粉粘土遊び、スライム作りを通して、色々なものを使って、作ることの楽しさ、出来上がっていく嬉しさを肌で実感しながら、物を大切にする心も学んでくれ、この活動を通して。作品展に向けての心の準備も整ったようです。
いよいよ作品展も始まります。その意義を十分ご理解いただいて、園児たちが素晴らしい発想が出来るようにご家庭でも言葉かけを宜しくお願い致します。

 

平成13年9.10月号巻頭言
「 新学期を迎えて」

園長 高杉美稚子

本年の園児たちは、皆、楽しい夏を迎えたことと思います。しかし、悲しいことに、今年の夏休みも、凶悪な事件の報道が絶えませんでした。子どもが、事件に巻き込まれる報道に始まり暮れた夏でした。とても胸がいたむ思いでした。先日の防犯の園長研修では、「いつ何がおきてもおかしくない。『セキュリティをすることがあたりまえの時代になったのだ』ということを認識してください」という話を受けました。
教育者として、性善説の立場をとってきたものとしては、なんと悲しい時代なのであろうという思いです。しかし、それがおかしくないことだと再認識させられた夏でもありました。  子ども達そして、若い女性の職員を預かるものとして、セキュリティを万全にして、防犯録画カメラをつけていたとしても、心をなくしてしまった人間に、戸があいた瞬間に踏み込まれては、早期に発見は出来ても防ぎようがないがないという不安があります。
研修では、催涙スプレーも保管の難しさがあり、各小学校で備え付けた、防犯ベルも昔のように、オドオド犯罪をしている人間には効果があっても、今の時代は、かえって犯人を興奮させ逆効果なのだそうです。どうしたら、もっと安全が確保出来るのであろうと思い悩んでいたのですが、新しく、個人が携帯できる防犯システムがあることを知りました。
そこで、新学期からは、各担任全員が、防犯会社(セコム)に直結する、非常通報機器を持つシステムを取り入れることに致しました。先生の部屋には今までも防犯会社に直結する備え付けの非常防犯ベルが2台あったのですが、今回のものは小型の携帯できるものなので、これからは、担任がどこにいても(日本中なら)ボタンを押すことにより、防犯会社に通報でき、すぐ助けが来るというシステムなので、園内だけでなく、バス乗車中、園外保育中も、園児の安全が確保されますし、園児のみならず、若い女性の職員をご両親から預かっている立場の園長としては、職員の安全をも確保できるシステムです。又、持っているだけで、非常時には、衛星と結んで、居場所が確認できるシステムなので、色々なシチュエーションで、園児と職員の安全を更に守ってくれると考えています。

これを知ったのは、私事で、恐縮なのですが、大学生の娘が、ダイエーホークスのチアガールをしており、家から、別府の大学まで、授業が終わってドームまで、そしてドームから、家までを自転車通学しており、ダイエーの試合が終わり帰宅するのは夜の11時半、その間の娘の身の安全を心配していた私は、既に幼稚園のセキュリティを担当している防犯会社の方にたまたま、その話をした所、新しいシステムがこの4月に開発されたことを教えて頂いたのでした。
これは、園児に、職員の安全確保に役に立つと、何かいい方法はないかと考えあぐねていた私は直感しました。そして、私の家族も娘ばかりでなく、87歳になる理事長先生が、寝ていて何かあったときにもすぐ助けが呼べるし、私の家で世話をしている知恵遅れの、おじが万が一いなくなったとしても居場所確認できるし、すぐに導入しようと全職員と家族用と取り入れることにしたのです。
聞けば、やはり、子ども、老人に持たせようということでものすごい台数で伸びているとかこんなものが普及する時代であるという悲しさを感じながら、このような機器に頼りつつも、何時もお話ししていることですが、人間が、ただの知識ではなくキチンと感性に裏付けられた知恵を身につけることがいかに大切であるかということを感じています。
若い男の二人組みに連れ去られて、無事保護された女の子のいかに聡明であった事か。
「ラーメンができる半分の時間」、目隠しをされていたにもかかわらず、外の階段でありそれが何段くらいあったなど、肌感覚をフル動員して見極める知恵、これがどんなに捜査を助けたかはかりしれません。感覚を鋭敏にすることの大切さは、母親として、職員として一番大切なことであると日ごろからお話ししていることですが、この子のお母さんは日ごろからどのような接し方をしていたのだろうと感心させられます。目、耳という五感と、肌から得た情報を頭の中でどう認識し結びつけるか、情報をいかに取捨選択するかという人間が、学習するという姿勢のなかで、基本的でかつ最重要なことがキチンと出来ていたと考えられます。子どもの安全と同時に「生きるということはどういうことなのか、学ぶということはなんなのか」という子育て、教育の根本について考えさせられた事件でもありました。

猛暑の為に、157等による食中毒の事件もまた多い夏でした。秋がやって来るとはいえ、まだまだ、暑い日が続きます。以前からの吉塚幼稚園の教育方針のひとつである「手洗いの徹底指導が子ども逹の健康を守る」事を今後も家庭教育との連携を図りながら実施していきたいと思います。


さて、夏休み、子どもたちとどんなコミュニケーションをとられたでしょうか。ついでに娘の話題をもう一つ。理事長がこの4月から、体調を崩しており、私と娘で交代で泊まりにいくのですが、この夏は一緒に二人で泊まることもあり、親子のコミュニケーションの場を多くもつことが出来ました。親に受容されているということはどういうことなのかというがそのときに話題の一つでした。そのときに娘がいった言葉がこうでした。「私は、友達に、とてもいいひとだといわれる、自分自身も人に対して、腹を立てるようなこともしない、でも母に対しては我が儘をなぜかいってしまうのね。なんでだろうね。」
今の若い人の犯罪は、親からの受容感が少ない人で、愛されているという実感が持てないから、自己肯定できない、自己肯定できないから、他者からの承認欲求が強くなり、犯罪で自己を誇示しようとする人が出てきている、又、自己肯定できないと他者肯定もできず、パニックに陥りやすく、人を傷つけやすい。だから、幼児期にしっかり親に愛され、自分は存在していいんだという自己肯定感を持つことが大切であると私は、考えているのですが、そのことを話すと、
『確かに、母に愛されている、という絶対の自信があるから、我が儘がいえる。その自信ががないと見捨てられてしまうのではないかと思うので我が儘はいえないよね。』
その言葉を聞きながら、最近のベビーシッター派遣会社の報告を思い出していました。
最近は、派遣されていくと、親のいるうちはとてもおとなしいのに、親がいなくなるととたんに地が出て扱いにくくなる子どもが増えているというのです。親の前で、やすらげないわがままがいえない子どもがいるというのです。おかあさんがいるときのほうが他人行儀でいいこなのだそうです。これは、本当に心配です。どういうことなのかといいますと、強圧的なやり方で、親のいうことを聞かせているのではないでしょうか。そういう子どもが大きくなったとき、例えば、腕力でもかなわなくなったとき、どうなるかは、目に見えています。
過剰干渉の中で育てるとよい子にならざるを得ないのです。しかし、その分どこかで発散しなければならない、親の目の届かないところではめをはずさざるを得なくなる、これは、怖いことですね。思春期、青年期の反社会的な行動はほとんどこれです。

夏休み、子どもが我が儘で大変だったというおかあさまは、ある意味で、私の前では地が出せるいい子だ、親子の基本的な関係は出来ているのだと思って頂きたいと思います。
しかしながら、十分愛されているという気持ちを持ってもらうということと、過保護であるということは全く別物です。又、その我が儘の中身が問題です。自己肯定感を持ってもらうにはについては「ママはセラピスト1,.2」に詳しく書いておりますので、そちらに譲りますが、親子がいかに豊かな、信頼感を育てるかが重要であると思います。それは、とりもなおさず、感受性をいかに育てるかという子とに結びついていきます。その意味において、夏休みの意義は深いものがあります。その為に、親と子どもが協同して様々な活動をするお休みが必要なのです。ここに又、幼稚園の存在意義もあります。


さて、意義深い長い夏休みも、終りを迎え、前期後半が始まります。前学期を土台として、子供達は心身共に、グーンと伸びる時期です。夏休み中の生活のムードから気持の転換が出来ない子供達も段々と活発に活動する姿が見られるようになってきます。
心の安定が図られると、友達との積極的なかかわりあう姿へと発展し、運動会等の集団行動がスムーズにとれるようになってきます。
友達とかかわって遊ぶ中で、自分の気持や考えを言葉で表したり、お互いの思いを伝えあったりする事が多くなり、友達の会話に関心をしめす事も多くなりますが、半面、自己主張もふえ衝突もおきてくる時期といえるでしょう。家庭での言葉かけを多くして戴いて、子ども達がおおらかに活動出来るように、温かな励ましをお願いします。
又、知的好奇心もや探索心も益々旺盛になります。この時期子ども達の行動範囲も広くなり、動線が拡大されます。特に、秋は、一年中で最も運動しやすく、子供のエネルギーも内や外に向かって、思い切り発散され、かつ、友達関係も深まる月です。
この時期の子供の成長ぶりは目を見張るものがあります。子供達の動線は、どんどん、拡大化され、活発さを増しています。特に、年中児の子供たちにとっては入園後、半年をすぎ、親をはなれて、友達の家にいききして、遊ぶ事ができるようになり、動線も予想以上に拡大しています。そこで、この時期に2つ思う事があります。

その1つは、体重の増加にともなつて、体がしっかりしてくる此の時期に適当な休憩、睡眠、栄養を考えながら、積極的な体づくりに取組む必要があるという事です。
1つの「運動会」という体験保育をとおして、子供達に能力一杯体力を出しきる事、休憩をとれる事のタイミンクを体で学んでほしいものです。体力を出しきる前に適当に休む事を覚えてしまっては、本当の体力は身につかないのです。
そういった子どもにとっては、たいへんそうにみえる運動会の練習もたいへん良い体力作りのけっかけとなります。そして、又なにより集団で行うことにより、友達同志の「心の育ちあい」が最も多くみられる場面です。

2つ目は、交通安全の事です。動線が拡大すればする程、動線に活発さがでればでる程、危険な場面への直面が考えられます。体験をさせることと、危険は常に表裏一体ですが、恐れていては、何も身につかないことももう一方で事実です。登園、降園時の歩行や降園後の子どもの動線の理解と注意はいうまでもありませんが、具体的な、場所での個別指導が必要でしょう。
子どもの交通事故を運動機能のせいにする動きがでていますが、子どもの運動機能を満足に発達させえない物理的、精神的環境を放置してきた大人に責任はあるはずです。この事も合わせて考えてみたいものです。


夏休みの終わり、とても嬉しかったこと。ある日職員に真っ暗な部屋によばれました。
何事かとどきどきしていると、暗闇に光る灯り。突然のバースディケーキ、うたと、感謝の言葉のプレゼントでした。いくつになっても感動できるということは素敵だと改めて感じました。私は無宗教ですが、神様が私の周りにこんな素晴らしい人たちをめぐり合わせてくださったことに感謝しつつ、今学期も、このメンバーで職員一同心をひとつにして頑張りたいと思います。
子ども達が健やかなそして、感動ある毎日を過ごせるように。
保護者の皆様の温かいご協力も宜しくお願いいたします。

 

平成13年7.8月号巻頭言
「子育ての基本に立ち返って
  ー切れない子どもに育てる為に」

園長 高杉美稚子

平成13年、2.3.6.月号に続き、今号でも今一度、子育ての基本に立ち返って、昔から言われていた子育てについて考えてみたいと思います。

さて今回は
1、「生活のリズムを作りましょう」からはじめましょう。
生活のリズムを作るこれは、子どもだけでなく大人の世界でも言い古されてきた話であります。
『地球の自転に伴って、明暗は24時間周期で交代する。それを受けて、われわれ人類は、日が昇ると目覚め、明るい間に食事をとり、活動する。これらの昼行性動物に対して、ラットなどの夜行性動物では、逆に暗くなると活動を開始し、明るくなると活動を停止して眠りに落ちる。昼行性動物、夜行性動物の差はあれ、地球上の全ての生物にこのような一日を周期とするようなリズム(日周リズム)が存在する。
又、24時間に近い内因性の周期現象をサーカディアンリズム(概日リズム)と呼ぶ。このような現象は地球上に存在する、全ての動植物に認められるのだそうである。
自由継続する概日周期は同一生物種ではほぼ似た値がとられるが、ヒトの概日時計の自由継続周期は25時間とされといるそうである。』
では概日リズムと子育てには、因果関係があるのでしょうか。それは、人の性格にまで及ぼすという研究があるのです。
ここに、トーマスの研究があります。この研究は、食事や睡眠の概日リズムが正しい子どもは従順で適応性が強く明るく陽気であることを示しています。
10年にわたる研究成果を1970年に発表したトーマスらによれば、アメリカの85家族の141人の子どもについて生後2ヶ月から10歳を越えるまでの子どもの行動について定期的に父母と面談し、9項目の質問を行い、追跡調査を行った結果、子どもの気質は大まかに3つのグループに分かれるが、子どもは生まれ持った気質と生後の環境(父母のしつけや教育など)によって形成されるとしています。
 『1には、幼い頃から、睡眠や食事のリズムが規則的で、身体機能のリズムが規則正しい。気分が明るく、前向きな性格で、新しい状況にうまく適応し積極的に対応できる。陽気で、新しい習慣や食べ物、人にもすばやく反応し規則を早く覚え新しい活動に難なく参加し、学校にも容易に適応するグループ
  これらの親は子どもの世話は大変容易である。
 2には、幼児期に睡眠と食事のリズムが不規則である。新しい食べ物を受け入れるのが遅く、新しい習慣や活動に適応するのも遅い。この子ども達は、非常によく泣く。泣き声や笑い声も大きい。欲求不満があるとかんしゃくを起こし暴力をふるう。新しい刺激に対する反応が大きく(例えば、新しいもの、人や状況に対して金切り声を上げたり、泣き喚く)それに直面しないで、避けようとしたり、新しい環境の変化に順応するのが遅く、気分は一般に暗く消極的なグループである。これらの親は子どもに手を焼き、そのしつけには、忍耐と寛容な心を必要とする。
 3には、全てにおいて活動レベルが低く、新しい刺激に対しては最初は避けようとし、その適応は遅く、気分は幾分消極的で反応は低い。
 4、そしてこの三つが混ざり合ったものであった。
141人中42人に心理学者は行動異常を認めたが、そのうち、第二グループに属するも
のが最も多くついで、3.、1であった。
次に、
リズムの規則正しい子どもには、誕生時から4時間を周期とする食事のリズムが存在し、
腸の運動が正しく起こる。その結果、生後6ヶ月の時点で毎夕6時半頃眠りにつき、毎朝
7時頃に目がさめ、それにより、又食事も正しく摂取する。そして1歳の頃には昼食の後
には昼寝をし、2歳になると大量の昼飯を食べ、寝る前には軽食をとり、5歳になるとベ
ッドに入るとすぐ寝るようになり、従って腸の動きも正しくなる。
10歳になると食事時間にのみ食べるようになり、毎晩同じ長さの睡眠をとるようになる。
これに対し、リズムの不規則な子どもでは、2ヶ月では毎朝異なった時間に目がさめ、食
事の量も一定しない。6ヶ月になると昼寝の長さも食事の量もますます不規則となり、1
歳では、ベッドに入れても1時間ぐらい眠りにつかない。
従って腸の動く時間が予測できなく、大便のしつけもむずかしくなる。という結果であっ
た。』
とまるで、良い循環と悪い循環のお話のようです。
もちろん、現在出来上がっている、子どもの睡眠や食事のリズムのパターンから、その子
どもの気質をある程度読み取り、しつけや、教育を行うことによって、社会に適応し、そ
のもてる能力を十分発揮できるように育てることは可能であると考えます。。
しかし、小さい頃から、規則正しい生活を心がけることで、行動異常が防げたり、性格に
及ぼす影響が良いならば、取り組んだほうがいいのは言うまでもなありません。
又、こんな報告もあります。『少年院に入っている子どもの調査では、圧倒的に食生活の崩
れが多く、非行と食生活の乱れが関係しているという結果である。
高校生の非行を直す、合宿所ができたそうであるが、そこでは、何もなされない.そうで、
されることは、ただ一つ、同じ時間に起床、就寝して、規則正しく食事をするだけな
のだそうである。それで、非行がどんどん直っていっているそうである。』
たかが、リズムとは侮れない結果ですね。
今からでも、遅くはない、大人の生活に子どもの生活リズムを合わせることが、どんなに
つみ深いものであるか、考えて見てほしいのです。
そして、幼児期に培った生体リズムがどこまで維持できるかも一つのポイントであるこ
とも忘れてはならないでしょう。

次に、「2、子どもの発育(伸長,体重)に気をつけていましょう」です。

なぜ、子どもの長育の経過を見ることが大切なのでしょうか。
それは、伸長ののびなやみを見逃していると、病気の診断が遅れるときがあるからです。もちろん、生まれつき小柄な子どももいるわけですから、伸長を図って、小さいながら、成長曲線に沿って入ればいいので、この場合は問題はないのです。
しかし、この成長曲線を越えて、伸長や体重のみが増加する時が一つの異常に気づくポイントです。人間は、太ってくると伸長も伸びています。逆にいえば、体重が増えると、伸長も伸びてないといけないのです。
『背が伸びていないのに体重が増えすぎているときは症候性肥満、ホルモンの病気や脳腫瘍も考えられます。甲状腺ホルモン不足であったり、成長ホルモンが出ていない場合小人症、性線異常発育不全、副腎の病気、カッシム症候群、ターナー症候群(染色体異常),ローレースムービー症候群(異常に太る)などが考えられる』そうです。
いずれにしても、そのバランスが大切で、太ってきたら、伸長が共に伸びているかが、チェックの目安のようです。

最後は「3、暖めすぎたり、冷やしすぎたりせず、薄着で、育てましょう」です。
 これは、もう、新園舎の説明文の中でも、何度もお話してきたことなので、皆さんも、良くご存知のことでしょう。皮脂腺の活性化が促す効用、肌が敏感になることから高まる感性など今までおはなししてきたことばかりです。
そんな中、大学院の教授に新園舎のお話したところ、このような効用があることも教えてくれ、園舎の意義をとても認めてくれました。
空調のような年間を通して何時も一定の温度の部屋で、一年中過ごしていると人間はどうなるでしょうか。それは、ストレスに弱い人間を作り出してしまうのだそうです。
なんとなく、感覚としてはそんなことはあるだろうとは思っていたのですが、科学的にも、医学的にも立証できることなのだそうです。
例えば、何時も一定の温度の中にいると、酸素の量も、血液が流れることも、心臓の鼓動も増大しません。そうなると、交感神経を高めることが出来ず、ストレスに弱くなるというのです。逆にいえば、新園舎で、外気温とは5度差くらいの、幼児には体には、負担をかけることは少ない温度を保ちながら、季節ごとの微妙な温度差を感じていくというは、酸素の量をふやし、血液の流れる量をふやし、交感神経を高め、結果として、ストレスに強くなる体を作るという説明であったのです。
そして体のストレス刺激を少なくするということは、心の健康にも繋がっていくということでした。
子どもに負担をかけないの自然の温度の中で過ごす事がいかに大切か改めて、考えさせられた時間でした。

さて、子育てで言い古されてきたことのいくつかを3月号からアカデミックな研究の中から検証してきました。昔の人は、いかに、賢人であったかと感じずに入られません。科学的なデーターのなかった時代に、まるであたりまえのように行ってきたことに驚くべき事実もありました。その意味で、昔の人の知識は、経験と人間が持つ肌感覚と豊かな感性としての本物の知恵であった気がします。

今の私達は、忙しく暮らし、自分の心に問いかけ、感じる心、をどこかに追いやっているのかもしれません。頭で考えることばかりに走って、情報に振り回されている。結果をあせるばかり、過去を分析し、未来に思い悩んでしまう。過去と未来に惑わされ、自分の体の感覚をないがしろにし、「今、自分が感じている」そのことを大切にしていない、だから苦しくあせるのだ、そして他人の言葉に惑わされてしまうのだ、そんな気がします。
現代の科学や医学でなければ太刀打ちできないことが多いのは事実です。でも時に昔の人がどんな風に子育てをしてきたか、そのことから学ぶこと、そして自分の子育てに対する、親としての肌感覚を大切にする時間も持っていただければと思います。

 

平成13年6月号巻頭言
「切れない子どもに育てる為に」

園長 高杉美稚子

今号では、平成13年、23月号に続き、今一度、子育ての基本に立ち返って、昔から言われていた子育てについて考えてみたいと思います。これまでの2年間の大学院で学んできた学習の中で、この言い古された、子育ての基本がいかに大切であるか、その裏づけとなる、アカデミックな学術研究に多数めぐり合い、納得してきたことが多くあったからです。

1、 子どもの良いところをみつけて、ほめてあげましょう。
 前回、2.3月号で『心理学』の中の行動療法の「反応と刺激」で行動を見ていくオペラント法について書きました。行動療法には原理原則がありましたね。それは、プラスの行動があったときはプラスの強化刺激を与えて、マイナスの行動があった時は、マイナスの強化刺激を与えるというとても、単純なものです。プラスの強化刺激とは、注目する、誉めること、スキンシップ、微笑む、言葉をかける、マイナスの強化刺激とは、無視すること、しかる、拒否、にらむなどです。この原理原則にのっとって実施すれば、良くならなくても、絶対に悪い方向にはいきません。これは、学術的に立証されていることです。
大人が、どういう強化刺激を与えるかは、子どもの次の行動が決めるのです。だから、子どもが行動する前に、先に先に手出し、口出しをすることが困るのです。
今まで、良くしようと思っていたのに、反対に悪いことに注目して、私たちは、努力して子どもの悪い行動をもっとしなさいと強化していたのです。
行動を形成するには、出来たときに、前に回って(これが大事)目を見て、できたね、すごいねといってプラスの強化刺激をいっぱいつけてあげておけばいいのです。キチンと随伴性にのっとってやれば、必ずやれるようになります。少なくとも悪化することはありません。だから我慢強くやるということを前回学びました。次に思い出して頂きたいのは、「強化刺激はすぐ前の行動にくっつく」ということです。ですから、弁別刺激を与えて、プラスの行動を促してそれを強化しようと思って、すぐに弁別刺激を与えてしまうと、前のマイナスの行動を刺激してしまう事になるわけです。すべては、刺激のあり方と反応によって決まってくるのです。これが行動療法のオペラント法でした。思い出して頂けたでしょうか。
詳しくは前年度2.3月号巻頭言(新園児さんには3月、黄色ファイルと一緒にお渡ししています)をご覧下さい。

さて、「子育て」で言い古されたこと、でも、とても大切であることまだまだあります。
2、何かを始める前には深呼吸をしましょう。
3、食事はよくかんでたべましょう
 次に、このことについて考えてみましょう
最近の子ども達は、深い呼吸をしなくなったといわれています。60代と中学生を対象として、調べた結果、60代は腹を中心とした呼吸が多いのに比べ,中学生の年代は,腹に動きはみられるものの、呼吸が浅い人が多いというデーターがあります。今の子ども達は,おなかを使って呼吸をすることが少なくなったともいわれています。では浅い呼吸は子どもたちにどんなことをもたらしているのでしょうか。
深い呼吸は、セロトニンを活性化させ増やします。
セロトニンが減ったらではどうなるのでしょうか。
ここにあるねずみの実験結果があります。セロトニンをとった一匹のねずみをねずみの集団に入れると、あたりかまわず噛み付くという攻撃性を示し、そのねずみから、セロトニンを復活させると攻撃をしなくなったというものです。
セロトニンが減ると「うつ」になったり、不安感が高まり、攻撃性が強くなるということなのだそうです。
では、深い呼吸の他に、セロトニンをたくさん出す為の方法はあるのでしょうか。
手を大きく振る、強歩をする、ガムやするめでしっかり噛む事が大切なのだそうです。こうするとセロトニンが多く出るのです。
このなかには、現代っ子にみられる問題の現象がいくつかあげられます。現代の子どもは、歩かなくなった、噛む食べ物を好まなくなって、プリンやヨーグルト等のやわらかいものをお好んで食べるようになったといわれて久しいです。
咀嚼力の低下、そして、今はやりのゲーム、これも浅い呼吸になる原因といわれ、
ここに子ども達が切れやすい性格になる要素が大いに含まれているのです。
では、少なくとも攻撃性の高い切れやすい子どもにしない為に出来ること、それは、簡単、ゲームはほどほどに、深い呼吸をして、しっかり歩き、咀嚼力を高める食事を心がけることですね。もちろん子ども達が、切れていく原因はこれだけで事足りることではありませんが、少なくとも切れさせない為の効果はあります。基本的なことをするだけで、その効果があがるなら、するに越したことはありません。
その一方法として「丹田(たんでん)呼吸法」なるものを習ってきました。
まさか、大学院の教授にこんなもの(大変を失礼な言い方ですが)を習うなんて思いもよりませんでしたが、小学生が授業の足し算をするとき、その前に、この「丹田呼吸法」をするとしないでは、集中力の差が歴然とし、した時は結果が必ず上がるというデーターも取られたそうです。
「丹田呼吸法」とはとても簡単なもので、まず、床にあしを投げ出すか、座禅の姿勢または、イスに楽に座り、手のひらを仰向けにしてひざの上におき、リラックスした姿勢をとります。
次に鼻で息を吸い込みます、この時間5秒。次に口をすぼめ、口から息を細く、長く、息がヒューとなるくらいに吐き出します。これで10秒、後5秒ではききります。
計20秒。たった15秒ですがこの時間を使って息を吐ききるには、5秒でしっかりお腹に息を溜め込まなければ、はききることができません。たかが20秒ですが結構フーというほどあります。これを6セット、合計120秒、2分です。
1回にこれ以下でもこれ以上実施しても効果はないというデーターもあるそうですが、たった2分の深呼吸で、子どもも大人も落ち着くことが出来。少しでも切れやすい子どもを減らすことが出来るならば、とても素晴らしいことですね。
早稲田大学の斎藤学教授もこの呼吸方法で、腹に中心感覚を持てるようになり、そのことではらに重心があるという感覚を持つことが出来るようになり、更には、ストレスがあってもよりどころがあるという感覚が育ち、強い精神力がつくといわれています。
日本の文化は、腹に重心を置いた文化といわれ、昔ながらの、伝統工芸や建築などの職人は、手のわざと呼吸を合わせていくとまで言われています。又。「腹が座る」
「腑に落ちる」など腹を中心とした言葉も日本には非常に多いです。
食べ物も、するめや、昆布などよく噛む食べ物も多かったですが。それでなくても。お米は30回噛んで食べるとおいしいなどは今でもいわれていることです。
ご家庭でもぜひ取り組んでみて頂きたいと思います。幼稚園でも、これから毎日、行う楽器祭の歌、ピアニーの練習は、この複式呼吸を毎日うながすものです。
日ごろからおこなっている事ですが、今一度取り組みなおしてもいい課題だと思っています。

次に3、子どもとのアイコンタクトを大切にしよう。ということについてお話し致します。
私は、園児たちとお話するときは、「園長先生と目を合体」という言葉をよく使います。これは、単に私を見てほしい為ではないことは、懸命な保護者方なら百も承知のこととは存じます。私が、子どもに視線を投げかけることによって、園長からの無言のプラスのストロークを受けとリ「私(子ども自身)がここにいていいんだ。私は認められている」という自己肯定感を暗黙のうちに持ってもらう一瞬であります。
これが一番大切なのは、母親です。アイコンタクトはよく観察して、認知して、関係を保つことで、これは、最も良いアタッチメント行動になっているといわれています。母親の存在そのものが、報酬価となっているわけです。おかあさんの反応から、
自分の存在を自覚する、私は、みとめられているという自己肯定をしていくことになるのです。
アイコンタクトの大切さを調べた研究は数多くあります。例えば、1978年のブラデルトルの研究では1分間に4.5回見られる沈静(言葉かけに反応しない、アイコンタクトしない)時間の小さな反応に良いカウントで乗る母親は親子の良い周期的行動が出来、良い親子関係が気づけることを証明しています。
又、1977年のフィールドの研究では、乳児が母親のどんなときに一番反応するかという研究のなかで、一番注意を喚起するのは、つまり、赤ちゃんが一番見つめるのは、模倣活動であることを見つけています。これは、模倣というのは一旦回路が頭に出来上がっていることで情報を理解しやすい事ですが、これは即ちアイコンタクトが出来るという事であり、これにはスキンシップ以上の効果があるということも立証しています。
エインズワースの研究では、51週間にわたり26人の乳児について自然の日常生活で何秒間アイコンタクトをしているかという調査をしていますが、よい親子関係を気づいている親子はお母さんから見つめるのを止めたのは圧倒的に少ないと記せられています。これはブラデルトルの研究が大変参考になり、15秒に一回の乳児の沈静時間とあわせて考えると大変興味深いものがあります。
幼児期は、その意味で、愛情の印刷原版であるといわれています。自分を肯定できる肯定的感覚を持ち、価値ある存在だと認識し、自他に対する尊厳を確立する「臨界期」だといえます。もちろん、人間は、複雑なので、修正不可能ではありませんが、とても重要な時期であることは確かです。安定感のある基盤が作られる時期であり、人の尊厳を体得したならば何があっても生きていける人間に育つのです。
その為に、私は意識して子ども達と出会うことの大切さをいつも考えていたいのです。そのために一番大切なことがアイコンタクトなのです。

さて次回は4、生活のリズムを作りましょう
5、子どもの発育(伸長,体重)に気をつけていましょう
6、暖めすぎたり、冷やしすぎたりせず、薄着で、育てましょう。
 などなどすべてなぜ大切か、について、アカデミック(学術的)な研究のデーターを元にお話し致しましょう。

 

平成13年4.5月号巻頭言
「共育と響育と驚育の実現にむけて」

園長 高杉美稚子

さわやかな春風とともに新しい年度がやってまいりました。ご入園、ご進級を心よりお喜び申し上げます。皆様のおかげで平成13年度を迎えるにあたり、今日ここに新年度がスタート出来る事を心よりうれしく思い、感謝申しあげます。
今年度は2001年度新世紀はじめの年度という記念すべき特別な年として、また吉塚幼稚園の50周年に向かって飛躍の前のステップの年として子ども達と保護者の皆様と職員という仲間と思い出に残る平成13年度にしたいと考えています。
私は1、「教育は真の自立への援助の道」
2、「教育は感動と思い出を作ること」
   3、「教育は知ることの喜びを与えること」    と考えています。
 このことを、今年度は1、共育 2、響育 3、驚育と考えてみたいと思います。
自立への援助として、子どもと同じ目の高さになって、同じ純粋な心をもって、子どもを取り巻く教師が、保護者がともに育つ「共育」の一年でありたいと願います。
次に感動と思い出を持って心と心が響きあう、子ども同士、大人同士、子どもと大人が、それぞれが問い掛けたことがかえってくるそんな「響育」を目指します。
最後に、知ることの喜びは、驚きと発見の連続を育てる「驚育」であることを忘れません。私は、教育は決して「競育」や「狂育」「脅育」であってはならないと考えます。
感性に裏付けられた知性こそが本当の知恵であって、ただの知識で終わってはならないのです。美しいものを美しいと思う純粋な心、あるがままの自分を認められる素直な心、自分と同じように他を認められる謙虚な心を大切に出来るこどもたちになってほしいと願っています。
素晴らしい園舎はできました。いよいよこれからは更に、素晴らしい教育という中身を充実させる時がやってきました。どんな中身になるのかは、私たち一人一人に託されています。しかし、教育は、教育をするものだけで完成できるものではありません。子ども達がいて、それを支えてくれる家族がいて、教師がいて初めて一つの教育が完成されます。私たち教師も精一杯頑張ります。子ども達も、自分の力を十分に発揮してくれるでしょう。保護者の皆様も、どうぞ、吉塚幼稚園の教育をご理解いただいて、皆でいい中身を作りましょう、育てましょう。そして教師も、保護者も、子どもと共に育ちましょう。
最初から立派な人間はいないように最初から、一人前の親も、教師もいません。
でも、一人一人の力は小さくとも、一人一人は自信がなくても、皆で力をあわせればきっと素晴らしい事ができます。一人一人が助け合えば、勇気が湧いてきます。今の自分は未熟に思えても,その時、その時を精一杯生きて努力をしていれば、その時々ですべての人が「100点満点」なのです。それは、子ども達も、親も、教師も皆同じです。皆が、自分を認められる、そんな育ちをしてほしいと願っています。だから恐れることは何もありません。行動を恐れ、結果を恐れ、何もしないのは、停滞退化でしかないと私は考えます。人が、呼吸をし、生きているということは、何の成長、進歩もない人生を過ごす為ではありません。
そして、最終的に、子ども達が、自分が人の評価ではない、自分の中のもう一人の自分が自分を認めてあげる日、真の自立の日が迎えられる日まで頑張りましょう。そんな幼稚園(成長の場)を共に作りましょう。
この実現のために教育理念があり教育目標があります。この実現のために、どうぞ、手を取り合っていきましょう。かわいい子ども達の為に。次世代のために。。それは、とりもなおさず、人間として自己成長につながります。前を向いて歩くことが大切です。失敗したら、そこで学べばいいのです。次にどうしたらよいか、考えればいいのです。怖いのは、失敗を恐れて一歩を踏み出せないことです。迷いながらも、勇気を持って挑戦する事は、人を成長させます。
『情けは人の為ならず』、結果として、自分にすべてかえってきます。
目の前の事柄や手段や結果のみにふりまわされず、問題の奥底にあるものに目をむけていきましょう。すべては、プラス思考です。

幼稚園は語学の場でありますが、互いに助け合い、互いに学びあい、互いに成長し合う『互学の場』であり、自分を磨き、自分を知り、自分を学ぶ『吾学の場』であり、自分の誤りに気づいていく『誤学の場』でありたいと思います。
又、感動と思い出は誰も作ってくれるものではありません、自分の手で作るのです。感動と思い出は、子ども達に、教師に、保護者にその人がそれぞれの立場で、精一杯頑張った分だけ平等にかえってきます。
やる気を起こさせるのではなく『やれる気』を子どもに持ってもらえるように頑張ります。今年一年、子ども達、保護者の方と共に歩き、驚き、響きあいながら、共に育ちたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。