平成12年度「大樹通信」巻頭言

平成13年2.3月号巻頭言
「卒園、進級にあたって」

園長 高杉美稚子

幼かった子ども達が、巣立ちのときを迎えようとしています。
進級、卒園と、有る意味での節目です。この吉塚幼稚園の体験教育を通して、子ども達は、何を、学び、何を感じ、育っていってくれたのでしょうか。
この子ども達の素晴らしい育ちのためにと、一生懸命、取り組んできたつもりでありますが、この節目にあたり、もっと出来たことはなかったかと、力不足を感じるばかりです。
 しかしながら、子ども達が、私たちに与えてくれたものは、計り知れなかったという思いでいっぱいです。まずは、この園児達がいるから教師にならせて頂いているという感謝の気持ちです。次に、子どもたちのひとりひとりの育ちゆく姿に、感動し、何があっても頑張り続けることが出来るという励ましをもらい、そしてその子ども集団でのエネルギーやパワーの素晴らしさは、私たちに、勇気と生きる力を与え続けてくれました.
 今年度は、西暦2000年、新園舎の落成という本園にとっても、かけがえのない素晴らしい節目の年となりました。この園舎で、園児達や保護者の皆様と新世紀をむかえられたことを心からうれしく思っています。
しかしながら、子ども達が、本当に活躍する、新世紀に私たちは何が残して挙げられるのでしょうか。形があるものはやがて滅びます。この園舎もいずれはなくなっていく日がくるでしょう。でも、この園舎にたくした、新しい教育の理想と提言、夢や願いは時空を越えて22世紀へと受け継がれるものと確信しています。今、子どもたちに私たちが残して挙げられるものは、教育でしかありません。

そこで、今号では、今一度、子育ての基本に立ち返って、昔から言われていた子育てについて考えてみたいと思います。なぜならば、これまでの2年間の大学院で学んできたもののなかで、この言い古された、子育ての基本がいかに大切であるか、その裏づけとなる、アカデミックな学術研究に多数めぐり合い、納得してきたことが多くあったからです。

1、 子どもの良いところをみつけて、ほめてあげましょう。
 実は、何ヶ月か前に『おもちゃを放さなくて困っています、どうしたらいいですか』メールを頂いていたのですが、パソコンを変えた為、どなたに返していいかわからなくなっていたので、この場を借りてお詫びすると共にこの問題を一番に取り上げてみたいと思います。今から、書くことは、『指しゃぶり』など、やめられないことがあるときや、片付けてほしい、トイレットトレーニングが出来ないなど、子どもに行動を形成してほしい時、すべてに役立つものです。
 それは、『心理学』の中の行動療法の反応と刺激で行動を見ていくオペラント法です。
行動療法には原理原則があります。それは、プラスの行動があったときはプラスの強化刺激を与えて、マイナスの行動があった時は、マイナスの強化刺激を与えるというとても、単純なものです。プラスの強化刺激とは、注目する、誉めること、スキンシップ、微笑む、言葉をかける、マイナスの強化刺激とは、無視すること、しかる、拒否、にらむなどです。しかし、この原理原則を知ったときは、まさに、「目からうろこ」こんなアカデミックな研究で、こんなことが立証されていたのかと感動したのです。図にするとこうなります。簡単ですが、これがなかなか、私達大人は、子どもに対して出来ていないのです。

@ では、おもちゃを放さなくて困っているという事例に当てはめてみましょう。
おもちゃを放さないというのはマイナスの行動ですね。ではプラスの行動はといいますと、おもちゃを放しているときです。いかがですか。行動療法の原理原則にのっとって行動すれば、おもちゃを放しているときに、注目して、誉めてあげる、おもちゃを放さなくて困っている時には、無視をしておけばいいのです。
実は、私たちは、反対の行動をしていませんか。おもちゃを放さなくて困っている時に注目してしかって、おもちゃを放しているときには何もいわない。これでは、おもちゃを放さないという行動を強化してしまっているのです。
では、どうすればいいかというと、子どもをじっと観察していて、少しでも、おもちゃを放した時があったらその瞬間を見つけて、『おりこうだね。ちゃんとできるね』と前から、しっかり目を見て誉めてあげるのです。
A 指しゃぶりに当てはめるとどうでしょう。
無視をしていようと思ってもつい『やめなさい』と出てしまうことがあるかもしれません。これが弁別刺激です。でもその直後の瞬間を見逃してはいけません。いわれた直後止めたのなら、すぐその瞬間を捉えて『ほめる』という強化刺激をくっつけておけばいいのです。やめなければ無視をしておいて、でも、目の端には入れておいて、指しゃぶりをやめた一瞬を見つけて、プラスの強化刺激をくっつけるのです。この原理原則にのっとって実施すれば、良くならなくても、絶対に悪い方向にはいきません。これは、学術的に立証されているのですね。
しかし、その子どもの育ちを考えなくてはいけません。何時も何時も無視をされているような子どもは、しかるということさえも、注目されるというプラスの刺激になって、今やっている悪い行動が強化されて注目してほしくてどんどんわるくなるのです。両親の関心を得たくて、非行に走るなどは、この典型です。
ですから、大人が、どういう強化刺激を与えるかは、子どもの次の行動が決めるのです。だから、子どもが行動する前に、先に先に手出し、口出しをすることが困るのです。
B 何度もいうのに、いったとおりにしてくれないのです。どうしたらいいのでしょう。もう懸命なお母様ならわかりますね。何度もいうから聞かないのです。今まで、良くしようと思っていたのに、反対に悪いことに注目して、私たちは、努力して子どもの悪い行動をもっとしなさいと強化していたのです。いつ、いわないで、いついうのか、どういうのかもうお分かりだと思います。わかれば簡単なことでしたね。でも今まで気づかずにきていました。でも、今まで私たちは経験でわかってしてきていたのです。しかし、わかってするのと、知らないでするのとでは大違い、天地の差があります。さあ、これからは自信を持って行って下さい。

さて、では、指しゃぶりを止めさせたり、洋服が一人では着れない、トイレットトレーニングが出来ないなどの行動形成はどうしたらいいのでしょうか。
赤ちゃんが生まれたときから、けだるいとか、したくないという気持ちをもっって生まれてくるわけではありません。つまりは、人間の行動は、すべてうまれたときから周りの影響を受けて形成された行動なのです。ですから、いけない行動があったら行動を形成しなおすこと、出来なかったら行動を形成していけばいいというのが、行動療法のやりかたです。
これは、幼児期にとても効果のある療法です、なぜならば、大人になればなるほど、行動だけでなく、その人の考えや、思い込みを変えないと行動が変わらないということが出てくるからです。そうなると行動療法だけではだめで、認知行動療法を使わなくてはいけませんし、それでもだめなら.精神分析も必要になってくるわけです。
話がわき道にそれましたが、そういうことで、幼児期は、ほとんどの問題が行動療法で解決できるといえるでしょう。
C 指しゃぶりのような場合は、同時に行えないような行動をプラスで強化して、マイナスの反応を下げていけばいいのです。例えば、指しゃぶりと同時に出来ない、絵をかくとか指遊びをするという行動を、注目しないわけですから後ろから、(これが大切.前からおこなったら注目のプラスの刺激になって指しゃぶりの行動を強化してしまいます)そっと手もっておこなう、そして絵を書き初めた、指遊びをしたその瞬間に、前に回って、目を見て、指しゃぶりしていないね、すごいねといってプラスの強化刺激をいっぱいつけてあげておけばいいのです。
D では、洋服が一人できれない子どもは、どうするかといいますと、後ろから(これが大切.前から手伝ったら注目のプラスの刺激になって出来ない行動を強化してしまいます)そっと手伝う、出来たら前から,目を見てほめて、プラスの強化刺激をくっつける。
そして、後ろから介助する程度を少しづつ、少しづつ減らしていくのです。
最後には、自分で着ることが出来るようになります。
E トイレットトレーニングが出来ない子どもは、もうお分かりですね。後ろからおまるに連れて行く、無視か誉めるかは、子どもの行動次第、誉めるときは前から、契約を破ってはいけません。理屈は簡単、原理原則にのっとって、プラスにはプラスの強化刺激をマイナスにはマイナスの強化刺激与えればいいのです。オムツにしかウンチが出来ないような子どもは、自分でおまるにウンチを捨てに行くことという行動をうしろから一緒におこなって、前からほめておまるやトイレでウンチをするという行動を形成していけばいいのです。キチンと随伴性にのっとってやれば、必ずやれるようになります。少なくとも悪化することはありません。だから我慢強くやるのです。
F さて、小学校に入ってから、ランドセルを机に片付けないというようなことが起こったときはどうしましょうか。どういう弁別刺激を与えて、小さなプラスの行動を見つけて、それをプラスの強化刺激にするか考えてみてください。
もうおわかりとはとは思いますが、ここで、覚えてほしいのは、「強化刺激はすぐ前の行動にくっつく」ということです。ですから、弁別刺激を与えて、プラスの行動を促してそれを強化しようと思って、外から帰ってすぐに弁別刺激としての『どうして片付けないの』といってしまうと、すぐ前の「家に帰る」というマイナスの行動を刺激してしまって『家にかえらなくなる』と言う事になるわけです。
ですから、『おかえり、かえってきたね。おりこうだね。』といって帰ってきたことをプラスに強化してから次に移る必要があるのです。この言葉が以前「ママはセラピスト」のなかでお話した『私メッセージ』―相手の行動を言うのではなく、私がこう感じるということをいうーを使って行われれば、もういうことなしですね。
さて、行動療法については、事例はいくつでも出てきそうです。友達と遊べない、自分の思ったことがいえないで、手が出てしまう、などなど、又別の機会に一緒に考えてみましょう。
今まで、私がこんなに頑張っているのに子どもが変わらないと思っていた方も多かったことでしょう。プラスと思っていたことがプラスではなかっただけなんですね。これから、努力の仕方が変わってくると思います。
すべては、刺激のあり方と反応によって決まってくるのです。これが行動療法ノオペラント法です。

さて、子育ての言い古されたこと、でも、とても大切であることまだまだあります。
2、生活のリズムを作りましょう
3、食事はよくかんでたべましょう
4、何かを始める前には深呼吸をしましょう。
5、子どもの発育(伸長,体重)に気をつけていましょう
6、暖めすぎたり、冷やしすぎたりせず、薄着で、育てましょう。
 などなどすべてなぜ大切か、アカデミックな研究で、立証されていることばかりです。
 特に、6などは、園舎のことを教授陣にお話ししたところ、学術的にも素晴らしく、ぜひ学会で発表すべきであることも示唆されました。事実、今年は、風邪で、休む園児が少なく、卒園、終了写真撮りが一回で終了したのは、近年まれに見ることでした。
さて今回は、紙面がなくなりましたので、2―6については、次年度の教育心理講座に譲ることにいたします。卒園生の保護者の皆様も、興味のある方は、ぜひお出かけ下さい。

 

平成12年10月号巻頭言
「子ども達の心に残る
   原風景を作ってあげる為に」

園長 高杉美稚子

1年の中でも、子ども達の成長の要となる運動会が終了しました。その意義については、今までも、「園通信」や「ママのてまくら」などでお話してきました。さて、この意味ある運動会は、どれだけ子ども達の心に残ってくれるのでしょうか。
私は、本園の教育の根幹をなす三つの柱の一つに、『思い出と感動を作ること』をあげています。「子ども達の心に残る原風景をいくつ作ってあげられるか」は、このことと密接に結びついています。
感動があるところには共感があり、共感があるところには真の自立があります。感動があるところには思い出が形成され、そこには生命の尊重があります。心の陽だまりとなる原風景をいくつも持っている人は、人の命も自分の命も大切に出来るからです。
以上のことが根底にある人は、常に自己成長があり、人生の幸せについて見極めることが出来、情報を取捨選択し問題解決していく能力や、危機管理能力も身についていきます。この事の本園の教育との関連と大切さについては本園の保護者の方ならば、すでにご承知の事でしょう。

では、心に残る原風景はどうしたら残せるのでしょうか?
ちょっと振り返って見て下さい。皆さんが覚えている記憶の中で一番古いものは、いったいいつ頃のものでしょうか。自分の記憶に残っている一番幼い頃というのは、何歳の頃のことか思い出して下さい。
さて、そのことのヒントになる言葉が、京都大学 霊長類研究所所長 比較行動学の権威
正高信夫先生の著書 心と体の不思議「ヒトの本能ってなに?」の中にあります。

『作家の三島由紀夫は小説の中で、産湯につかった時の、タライの木目を覚えていると書いています。その真意のほどはともかく、ふつう常人では、生まれて初めて歩いた日の事を記憶にとどめているということはありえないことです。百人ぐらいの人に、一番古い思い出を尋ねても、答えは、大体3歳ころ、せいぜい迷子になったとか、転んでケガをしたとかいった、断片的なエピソードに落ち着いてしまって、それより過去にさかのぼる事はできません。
どうしてでしょうか。それは私たちが自分で経験したことを記憶として定着させるためには、ことばが不可欠であるからです。体験した内容を、「お話」にすることが求められるのです。お話の筋に従って、体験を系統立ててつなぎあわせて初めて、情報は蓄えられるのです。そのお話を他人に話して聞かせることばの能力が獲得されるのが、まさに三歳ごろというわけです。3歳の子どもに「きのうのお昼に、何たべましたか」とたずねても、まず覚えていません。でも、昼食をとってしばらくして「今日はカレーライスを食べたよ」と語るように仕向けると、その翌日も、メニューは子どもの頭の中に残っています。話すことで記憶は形成されていきます。ただ、大人は三歳児と違って、口に出さなくても心の中でつぶやいて、どんどん体験をお話に変えることができますが、ことばを習いたての子どもはそれができません。だから、実際に、音として口から何度も繰り返し発した情報しか残っていかないのです。それゆえ、覚えていることは、少ないということになります』 とあります。

この事が意味することは何でしょうか。『言葉をもたないと全部忘れてしまう』では、言葉の数の広さと深さが少ない幼児期の原風景はどうしたら残してあげられるのでしょうか。
まさしく、今まで私がお話している、感動を持つことの大切さがここにぴったり当てはまるのです。
親が感動するからこそ、その感動が言葉となって子どもに返される事の意味の大切さがここにあります。人は、感動しなければ、共感しなければ、言葉を発することはあまりありません。
だから、いくつになっても、何人目の子どもでも,人は、特に子を持つ親は感動して頂きたいのです。(でも、言葉をいくらかけても、悪口や批判ばっかりだったりすれば、子どもにとって良い原風景をつくる事にはなりません。だから、いつも、プラス思考で、良いところを見出して頂きたいのです。)そして、感動して、子どもに良い言葉をかけてほしいのです
そしてお話を続けて頂きたいのです。そうする事によって、子どもは言葉を獲得していきます。言葉をもつと記憶に残ります。記憶に残ると、良い原風景が形作られていくのです。

親が感動しなければ、子どもとの共感は得られません。親の感動があるから、自分の子どもと共感できるし、共感があるから、他の親とも、他の子ども達とも共感でき、そこで自分以外の他人や、我が子以外の子どもも認められるのです。そこに、親自身と子どもの自立(個別性のある共感)があります。真の自立があるところには、人とのあつれきもありません。
それぞれが自立してないから、トラブルが起こるのです。このことは、今までお話してきた事ではありますが、親として、子として、人として、それぞれの自立があり、トラブルもなければ、他の家族との良い原風景の輪も広がっていきます。原風景の輪が大きくなれば、子どもが包み込まれていく陽だまりが大きくなることは当然の事です。

では、運動会が終わって、私達大人が為すべき事はなんなのでしょうか。子ども達に、感動したことを伝えることです。子ども達がわかる言葉で、具体的に繰り返しお互いにお話し、感動を再び共にすることが今、まさに為すべき事です。
そのようにして、子ども達に心の陽だまりの原風景を少しでも残してあげることが出来たら、
子どもが(いいえ大人になっても),いつの日か、疲れ果て羽が折れることがあっても、そこで羽を休め、再び、飛び立つ勇気を持ってくれるに違いありません。
心が傷ついた人を休ませてあげる心のゆとりがある子に育つでしょう。自分の命と同様、人の命も大切にする子どもにも育ってくれるでしょう。
そのことが、今、まさに、「17歳問題」といわれている、青少年の多感な時期の問題解決に繋がっていきます。手をこまねいていてはいけません。今からの実践が大切です。

だから、少なくとも、私達子どもの周りにいる大人(親と教育者)は、いつも新鮮な気持ちで、感動する人でいましょう。プラス思考で、いいところを見出せる人でいましょう。そのこころのゆとりを持ちましょう。優しさを持ちましょう。
運動会の〇〇のところがこんな風に素敵だったね。それを子ども達に言って頂く事をお願いするのは、園のため、職員の為では決してないのです。
子ども達のより良い育ちの為にお願いすることなのです。子ども達の為に、何か園であるたびに、家庭で何かあるたびに、何もなくても何もない平和な生活であることに、感謝して、感動して生きていきましょう。子ども達の為にどうぞ、宜しくお願い致します。

 

平成12年9月号巻頭言
『幸福について考えてみましょう』

園長 高杉美稚子

長い、夏休みが終わりました。いかがお過ごしだったでしょうか。今年から、前期後期制と致しましたので、秋休みを10月に3日間頂く関係上、学校より一足早い始業式となりました。
今年は、前期、上半期は主に音楽表現教育の七夕楽器祭、下半期は身体表現の秋季大運動会
後期、上半期は造形表現の廃物利用の作品展、下半期は総合的表現のゆきのこお遊戯会を大きな柱として新たに区分し、カリキュラムを進めています。

前学期の最後にも、1名の方のご意見でも大切にしたいという思いと、これからの時代は園が目指す教育の方向は、機会あるごとにお話して行くことも大切なのではないかとの思いから、個人面談で気になったご意見にお手紙致しましたが、この新しい保育の試み(ティームティチングやオープンエデュケーション)は、総合的に行事の中で実行するのは、今年からのものもありますが、思考は決して模索の段階ではありません。
10年以上も前から、新しい保育について思索し、取り組み、その為には、まず、園舎の構造から変える必要を感じ、その為に、新たに園舎も完成し、ハード面の準備は全て整いました。
理想とする教育理念があるからこそ、この新園舎になったのです。ただ単に新しい園舎にしたのではないのです。
その教育の理念、実現の為に、徐々に取り入れていた前段階の準備としての保育もこの10年の間に整い、部分としはすでにすべて実施してまいりました。
ハード面と共に、ソフト面もこれで整い、その上で、満を持しての今年の取り組みであり、一朝一夕になされたものでは無いということは明言しておきたいと思います。
後は新園舎を十分に生かし、総合的に取り組むのみです。
そして、この10年の間に思考、準備してきたことが、これからの新しい幼稚園や小学校教育に取り入れられようとしている教育指針に全て盛り込まれていることも、これまで、思考してきた方向が正しかったことを裏付けています。
画一的に、子どもたちをとらえるのではなく、その子の持てる力を心から信じ、それぞれの個性を生かしながら、集団生活の中でのたくましい真の生きる力を培っていく教育
 
1、自立の援助(共感と個別性を持つ)
2、知ることの喜びを与える(自己成長の持続と問題解決能力)
3、感動と思い出を作ること(生命の尊重と危機管理能力)

が今こそ大切であろうと思います。この吉塚幼稚園独自の教育理念の実現のためには、私も、吉塚幼稚園の職員一同どんな努力もいとわないつもりです。
いよいよ、前期、下半期も始まりました。子ども達はこの新しい吉塚幼稚園独自のカリキュラムの元、のびのびと大きく育っていってくれる事を願ってやみません。
どうか、目の前の小さな事に振り回されず、問題の奥底にある事にしっかり目を向けて、今学期も子ども達の望ましい育ちの姿の為に保護者の皆様のご協力を宜しくお願い致します。

さて、どんな夏休みをすごされましたか
今年の夏に私が味わった経験を四つお話いたしましょう。
一つ目は、郵便局でのことです。
8月から、給食時のお茶はやかんをやめてウオータークーラーにしようと思っておりましたので、ワイワイクラブの分も含めて、13台買出しに行くことにしました。
その直前に郵便局の振込みをたのまれた私は、郵便局は車がとめにくいので、いつもは自転車で行くのですがその日はウオータークーラー13台の買出しのついでと思いましたので、自動車で行くことにしました。迷惑をかける駐車の時間を短くするために、提出書類は不備の無いようにきちんと記入し、料金もきっちり持っていくことにしました。
郵便局についたら案の定駐車場は、いっぱいでした。一台待ってありましたので、その方が入車するのを待ってすぐ後ろにつけたら、あまり迷惑をかけないだろうと、その方が入るのをしばらく待ってからすぐ駐車しました。郵便局に入ってその方の整理番号は私のすぐ前であることも確認しました。
その方は,用紙に記入してありませんでしたので、少し時間がかかりましたので、準備していた私と郵便局を出る時間はものの1分も違いませんでした。郵便局を出た私は,駐車場でその女性に会釈をすると、その方は怒鳴り声で『早く!出させてよ!』

さて、その後、ミスターマックスへ買出しに出かけました。1件目で台数がそろわなかった私は土居店に出かけました。敷地内の道路の右側を歩いていた私は、後ろから来た道路の左側を通行していた車にクラクションを「ブ、ブ、ブ、ブ、ブウ-!!!!」と5回も立て続けに鳴らされてしまいました。すぐには、なぜ鳴らされたのか分からなかったのですが、すぐその先に右手に下りるスロープがあり、少しでも近くの内側に回りこんで行きたいその方には歩行者の私が、邪魔だったようです。しかし、車は左側通行のことを考えれば、大きく回っていくのが常識のはずですが、その方はすれ違いざまに「ばかやろう!」

さて、別の日、今大学生の娘が、ダイエーホークスのチアガールをしているので、応援団の応援団ということになりますか、親ばかでダイエーの応援ではなく娘の応援で初めてドームに野球を観戦をしに出かけました。
エレベーターにのったところ、身障者用の低い位置にある行先階を押すボタンに私の腕がちょうど邪魔だったのでしょう。何も言わず私の腕を『ばしっ!』.
きっと腕をどけてという意味だったのでしょう。

そして、娘をビデオに収めた私は、あまり、野球に関心が無いこともあって、会場の人間ウオッチングをするとはなしにはじめていました。
生後3か月未満位の赤ちゃんを連れた方がいたのには驚きました。
又、1歳半ぐらいの孫をあやしておんぶしているおばあちゃん、その横で観戦に興じているその子どものパパとママと思しき若いご夫妻、1歳くらいの子どもが大泣きしているのを会場でなだめているパパ、子どもはいっこうに泣き止まず、会場を出てあやすということを試みないで観戦を続けるパパ、やっぱり小さい子どもを連れている人が目に入ります。
一番閉口したのは私の後ろの親子連れでした。私の左隣の2つの席が空いているせいもあって、私の左後ろにすわったパパはメガホンを、前の席に思い切りたたきつけて応援するのです。
パパがこどもと席を替わってもう一つ隣に移ると、子どもも同じように私のすぐ後ろでたたき始めました。私の左耳の横でたたきつづけられ、鼓膜がおかしくなりかけましたので、私はついに子どもさんに『いすはたたかないでくれるかな』とお願いしました。
子どもさんはすぐに止めてくれましたが、でも、その隣に座ったパパは、私の席の隣の隣が埋まるまでやめてはくれませんでした。
こんな音がうるさいなら観戦に来るなといわれそうですが、私にとって、周り中の方がメガホンを手でたたく分の音はなんともないことでした。来ている方は、もちろん野球の観戦に来ているのが本来の筋ですし、私が何かとやかく言う方がその場ではおかしい事でしょう。ご家庭の事情まで、口をはさむ気もさらさらありませんので、途中からは私も「野球を楽しまなくっちゃ。せっかくドームに来たのだから」と腰を据え、野球を応援して熱くなって帰りましたが、立て続けに起こる、少し、不愉快で、さびしく悲しい体験が続くことに、なぜだかとてもやるせない夏休みでした。
なんだか、人に対する優しさが欠けている世の中になってきたなという思いでいっぱいでした。

今年の夏は、始業式も早いのとタイムカプセル開封や心理学のトレーナーコース受講など忙しくしておりましたので、あまり本を読むひまが無かったのが残念ですが、それでも、日本の教育と心理学の第一人者、河合 雄先生(京都大学名誉教授、教育学者、数学者、臨床心理学者、哲学者)の本を何冊か読むことが出来ました。その中の一冊にこんなことが書いてありました。
要約すると、「これまで教育は個性をないがしろにしてきた、これからの教育は形を教えるだけでは教育にならない。教育で個性をどう育むかというキーワードは幸福である。金持ちやいい地位や、いい大学でなくても、幸せな人とはいっぱいいるし、そういうものを全て手にいれても不幸な人はいっぱいいる。人間は人生を出世設計でやっているうちは満たされない。金持ちになるか、幸せになるかという問いには、幸せを選ぶ幸福設計で考えると、より個性的な人生が送れる。
幸福設計とは、そもそも、自分にとっての幸福とは何かを考えなければならない。
その為には、他人に振り回されず、自分の尺度を持って、自分で考えなければならない。それが出来る力を持った子どもを育てなければならない。親は誰でも。子どもに幸せになってもらいたいと思っているのに、不幸にしている人がいっぱいいる。それには、親がまず、幸福について考えなおさなければならない。親自身が出世人生の人生観を改め、幸福追求の人生にしなければ、子どもたちの幸せも未来も無い」いうものでした。

これは、まさしく、私が、園舎を建てることを志した一つの理由でもあります。私は、幼稚園と園児達と一緒にいることが一番の幸せであると。だから幼稚園を園児、保護者、訪れる人全てにとっても、そして私自身が、ここにいてくつろげる、一番幸せな時間が持てる空間にしたいと考えました。それが私の一番の幸せであると思ったからです。その為には、その他の楽しみは全て無くても良いと思いましたし、金銭面を含めて、どんな苦労もなんともないと考えたのでした。
そう考えて、10年、前述のような新しい教育を考えての新園舎が出来たのでした。
「こんな立派な園舎なんかつくって」とか他の園長先生に陰口を言われたりしますが、その先生は、誰にも負けない宝石を持つことが趣味のようです。
私は、すぐ無くしてしまうので、イミテーションで十分です。こう考えると、やはり、何を持って、満足とするかは、その人の幸福感の持ち方であると言う河合先生の話は、納得いくものであり、学歴社会の弊害が、今の子どもたちのすさみ方を助長しているとすれば、今こそ、子どもを取り巻く大人が今一度、人生の幸福について考え直してみるのも、大切なのではなかろうかと思います。
そういった意味において、夏休みに会った方々は、幸福感の少ない方々かもしれません。
幸福感を持てない人々が増えているのかもしれませんが、自分の今の人生の中で、何が幸福か考えて、今、ある事にまず感謝する。『足ることを知る』ことが一番の幸せだと昔の人が言ったそうですが、まさに。現状に不満や不足ばかりを感じて、文句ばかり言っている方は、まず、幸福観からは程遠いでしょう。
その上で、しっかり、自分の幸福の優先順位を考える。そして人生設計をしていく。そのことをしっかり出来なければ、子どもの教育の方向性を見誤る時代にに来ているといえるのではないかと思います。
どうか、新学期にあたり、子どもにとっての幸せとは、そして、親にとっての幸せとは、夫婦にとっての幸せとは、教師にとっての幸せとは、などなど、あらゆる関係、あらゆる立場にとっての幸せについて一考する時間を持っていただければと考えます。
今学期も、常に、子どもたちにとって、何が幸せにつながるかということを、長いスタンスと広く深い視野で捕らえ、しっかり保育に当たっていく所存でございます。
どうか。ご協力、ご理解のほど宜しくお願い致します。

 

平成12年7.8月号巻頭言
「自分自身の為の子育て」

園長 高杉 美稚子 

 時の経つのは早いもので、はや夏休みが目の前となりました。前期上半期も「子供たちのより良き成長のために」一生懸命、心をつむいできたつもりではおりますが、私たちが努力する以上に、大人が心を砕く以上に、子供たちの方が成長し、又、子供たちに教えられた年度はじめであった気がしています。
 時として、子供同士の育ちあいの中から発せられる言葉にはっとさせられ、気づかされることもありました。集団の中で育っていくエネルギーやパワーの素晴らしさ、それは、教師のどんな導きより深広で、大人の必要以上の心配や干渉も吹きとばす力強さを持っています。そしてその集団の中の子供たちの育ちの姿が、教師としての喜びでもあります。
 私たちは、常に「集団の中の教育のプロ」でなければと思います。知的愛情を持って、目先のことにとらわれず、問題の奥底にあることをしっかりとらえて教育にあたっていく、その為には、大きな視野で物事をとらえ、あせらず、じっくりと「待つ姿勢」が大切と考えています。
 あせらず、この「待つ」ということは簡単な様で、とても難しいことかもしれません。以前読んだ本の中で、「ヒトはなぜ子育てに悩むのか」ー正高信男著ーその中にもこんな文章が載っていました。
 「わが子にどのように接してよいかわからない」と言った育児不安が多い、集団の中での子供の育ちを理解出来なく、子供とのつきあいかたが、良く判らない大人が増えていること、にもかかわらず「子育ては上手くしなくては」という、心理的プレッシャーが強く働いていることだ、とあります。
 この本には、子供たちの成長に負けない為に、大人がもういちど、発達を遂げる為の道標が書かれています。
 最近、「生涯発達」という言葉を頻繁に耳にするようになってきました。今や、発達というのは、子供が大人に成る過程だけをさすのではなく、文化の価値、規範を習得し、真の人となっていく事全てをさしていると考えて良いと思います。
 その為には、自分の文化以外のものを認めていく事が最も大切な事でありますが、「個々人の持つ文化、考えこそがすべてという発想を、なにがしかの意味で超える事を可能にする再有力の人生上の行程が、子供を見つめる事にある」とこの著者はのべておられます。
 育児というのは、大人が生涯に渡って発達をし続ける過程の中で他にはとってかわるもののないほど素晴らしい行程であり、子供をみつめることで、自分をとらえなおす大きな契機です。
 子供自身の論理に従ってさぐろうとしてみる、そういう「子育てのおもしろさ」を身につける事によって、子育ては大人みんなにとって「自分自身のための子育て、ひいては自分育て」に繋がっていくのです。
 そう考える時、今、身近に子育ての対象になる幼児を持つ親、そして、常に、子供たちが回りにいる私たち教師は、何と幸福な人間なのでしょうか。
 子供の姿を通して、もう一度成長する、真の父親、母親、教師、人になっていく、それは、何と素晴らしい事であるかということを認識する事からはじめていきましょう。 そして、子供と共に成長出来る私たちでありつづけましょう。
 子供たちの為にも、私たち自身の為にも。

 さて、夏休みが近づいてきます。幼児の死亡事故のトップは、水の事故です。ちょっとした油断が死をまねき、ちょっとした原因で、悲劇がおこっています。
でも、この水の事故は、ちょっとした確認で防ぐ事ができるのです。
まず、家のまわりを確認してみましょう。まさか、こんなところで、という所で幼児はおぼれています。水の深さが、20cmあれば、子供はおぼれてしまうからです。幼児は、バランスを失い、自ら、起上がれなくなり、おぼれるというケースが多いようです。
マンホールの蓋はしまっていますか。どぶや池には柵がありますか。
ふろやせんたく機には、ふみ台となるような物をおかないようにしましょう。
その他、近所の危険な場所を確認しておきましょう。幼稚園児になると、行動範囲も広くなり、おもわぬ所に行っています。
体の発達に伴い、冒険心も出ています。遊び場所をよく知り、把握しておきましょう。
又、日頃、注意していても、いざという時に忘れて、夢中になるのが子供です。実際の場につれていって、なぜ危険なのかをしっかり理解させておきたいものです。外にでる時は、具体的な言葉かけをしてあげましょう。
水遊びをさせる時は大人の監視のもとであそばせましょう。
遊ぶ場所の水の流れや底の様子も確認しておきましょう。
年長者とでかける場合は必ず、行き先、帰宅時間の確認をして下さい。又、風邪や下痢をしていないか、お腹はすいてないか、等の体のチェックをしておく事も大切です。
でも、水の危険ばかりにとらわれないで、日頃から、水に親しませ、水に慣れる事によって、子供自身の安全能力を高める事も大切です。

夏は、又、夏バテの季節でもあります。
子供の発育や体調を調えるのに必要なビタミン、ミネラルが不足するから起こるのです。元気がない、食欲がない、顔色がさえない、すぐ横になる、こんな症状があらわれたら、夏バテの第1歩です。
夏バテ回復は何より栄養のバランスです。
牛乳、肉、魚、豆等の蛋白質源、ビタミン、ミネラル源の野菜、海藻、果物、エネルギー源の油脂類や穀類、をバランスよく組合せ、更に、不足しがちな鉄とビタミンを補う事です。
そして、暑さの為、全身が疲労し胃腸が弱り、睡眠不足になりがちですので、充分な睡眠をとります。
又、食欲がでたからといって、一気に量をふやさずにゆっくり、食事量をふやして胃腸に負担をかけないように、する事も大切です。
たまには、野外で弁当を広げるのも、気分が変っていいものです。
お母様の知恵と工夫で、水の事故や夏バテから、子供達を守り、楽しい夏にしたいものですね。
こんな時こそ、短くてもよいから適切な言葉かけを頻繁に子供たちにお願い致します。その一言で子供たちの心身を守る事が出来る事と思います。

 

平成12年6月号巻頭言
「家庭教育をどう展望するか」

園長 高杉美稚子

最近、また、とても凶悪な事件が多発しました。
犯人はいずれも、17歳、高校2年生でした、これは、私の2番目の子どもと同じ歳で、同じく男の子の犯罪でした。事件のたびに、「今の17歳は何を考えているのか」と言う内容で、息子や大学生の長女と話し合ってきました。同じ17歳の男の子を持つ母親として、考えさせられることの多い日々でした。そして、犯人は、まだ捕まっていませんが、中央区、大手門で起きた強盗殺人の被害者はあろうことか、洋史先生の友人でした。
漠然とああいう事件は、どこか遠くで起こるような感じがしていましたが、身近で起こった事に、更に驚愕の念を強くしています。

何かがゆらいできているという、漠然とした不安感があります。では、何をどうして言ったらいいのでしょうか。幼稚園教育では、心の教育を第一に考えながら、集団教育の中での一人一人の子どもの育ちの姿をどう導いていったらいいのか、昼夜を問わず、模索しています。
可能な限り、子ども達の望ましい発達の為の人的、物的教育環境を整えているつもりです。
でも、やはり、根本にあり、最も大切で、私たちが手の届かない範囲、それは、家庭教育であろうと思います。
家庭教育で何が変わってきたかと言いますと、最近の子ども達のままごとを見て感じることは、掃除、洗濯、調理の場面が減って、食事の場面と、電子レンジでチンする場面、電話をかける場面、おめかしして出かける場面が増えていることです。
家事労働の時間は15年くらい前に比べると、断然と減ってきているのでしょう。その分、親子での体を使った家事労働の共同作業の時間も減り、その結果、子どもへの対応を言葉だけでしようとして、言葉だけでは気持ちを推し量れなくなって、親子共々、精神的に疲れ果て、子育てが辛くなってきているのではないでしょうか。
最近の調査で、母親は結婚するまで、自由だった時間、行動、お金が制約され自分の人生を振り返った時、孤独に陥り、父親は、仕事上ストレスが多いので、家庭ではせめてリラックスしたいと考えているのに、子どもへの対応を迫られ、子どもと向き合わずに、子どものみかけの理解者となって、母親をますます、育児ノイローゼへと向かわせているといわれています。
この育児不安が、過保護や過干渉へと更に向かわせています。又、昔の子どもは、叱られる事が予期出来ていたのに、育児不安の親からは、いつ、叱られたり、罵倒されたりするのかわからないので、子どもも不安で怯えていて、子ども自身が不安で、すぐ、切れる子どもになるとなるといわれています。

親子の対話、それも、体を使った対話をする事が、今、とても大事だと私は考えています。
命を大切にする心も、ものを大切にすることも、言葉だけでは実感する事ができない事を、心で感じ、体で覚えていく事が大切だと思います。頭で理解できていても、心で感じ、体で覚えていかなくては、本当に理解している事にはならないからです。頭の中の考えと体の感じが一体化していないという事は真の理解には至っていない事と同じだと思います。
今、大切な事は、子どもと向き合って、一生懸命家庭教育をしてほしいということです。それは、当然のごとくお金で教育を与えたり、物質的に豊かにしてあげるという事ではありません。
この不景気の中で、お金では買えない喜びがあります。幼稚園の自然観察園で収穫したものは、嫌いなものでも、好んで食べるという現実があります。
そのためにも、幼稚園では体験教育を大切に進めています。ご家庭でも,共に体を動かす事から始めてください。草取りでも、雑巾がけでも、何でもいいと思います。

次に、子どもが育つのに、何が大切かというと、自分の人生に対して自信を持つという事です。・
どんな子どもにも、この世の中に生きている価値があります。親が子どもを愛するという事は
他人はどうであれ、親は我が子には「だいすきだよ」等と言い続けて、生きる価値を認めることです。そうすると、子どもは、自分に自信を持って生きていく事が出来ます・
自分の生きる存在が認められた時に、初めて人も認められるのです。

又、今の若い学生の傾向を見るとき、対面の会話より、携帯電話の方が長時間表情豊かにしゃべっているという現実があります。これは、携帯電話やメールの方が、気が楽だからでしょう。
現代は、子どもの数も減ってきて、一人、一室の時代になり、自己中心の生活で、多人数と生活していないから、人と長時間向き合う事が苦痛になってきているのです。それが、学級崩壊の原因の一つでもあります。人間関係が作れなくなってきている傾向にあります。
地域社会も人間関係の絆が除々に崩壊しつつあります。大人はもう一度、子どもの為だけではなく、人間として生きた関係を回復する為に、再び人間関係を構築しないと子どもの人間関係は豊かになることはありません。地域社会、学校、会社、大人の人間関係が希薄になってきていることをまず、自覚する必要があると思います。

今までの文化をもう一度見直す時期にきていると思います。そして、この課題は、子どもをとりまく、全ての人が手を繋いで協力してやらないと難しい問題だともいえます。
どうか、これからも、この課題に関心を持ち続けてほしいと思います。

 

平成12年5月号巻頭言
子どもたちを「指示待ち症候群」にしていませんか!

園長  高杉美稚子

昨年度は、吉塚幼稚園の職員心得にもかいているのですが、私のモットーである、どんな小さな事も、そこから学ぶべき事があり、その体験を通して育っていく、どんなつらく、いやな時も、常に冷静に判断し、プラスのエネルギーで前向きに取り組んでいくプラス思考が大切である事を改めて感じた年でありました。
自分の教育観、そして自分の足跡をしっかり残そうと新園舎建築にチャレンジした年であり、これからの教育は、いかにあるべきか、ということを、改めて、一日一日考えて行動した一年でした。
自分の考えをまとめ、行動に移し、建造物に十分反映できたと考えております。この一年の体験は私にとって、さまざまな課題とともに成長を与えてくれたと思います。
本園の教育方針のひとつでもある体験こそ、そして、その体験から何を学ぶかが、本当に人にとって「宝」だと思います。これからは、この園舎をステージとして、教育のシステムを新たに加えていく考えです。
空気清浄機としての役目を果たしながら、適度な温度の冷暖房効果のある建物であること、可動式で年齢別ブースがさまざまな大きさに変容できること、年齢を考えた仕様、その他、たくさん教育的配慮と工夫をとりいれ、子どもたちの「物的環境」は十分整いました。
後は、優れた教育のソフトウエアの充実です。今年はこのことに十分力を注いで参りたい所存です。保護者の皆様にも、ご協力賜ることも、多々あるかと存知ますが、子どもたちのすばらしい育ちのために、宜しくお願い致します。
そして、子どもたちを真中にして、保護者と教育者が手を取り合い、すばらしい連携がとれる豊かな「人的環境」もさらに築き、充実したいと存じます。

さて、最近の子どもたちを見ていると、集団の遊びをしなくなってきた、現代の子供達に、今、さんま(時間、空間、仲間の3つのま)がないといわれています。
だからこそ、幼児期の集団の中での遊びを豊かに育む、体験を通した幼稚園の保育の役割が、いっそう大切になっているのですが、この遊びの環境を、うばっているのは、子どもたちではなく、大人であるような気がしてなりません。
いさな怪我があると、ーーあの公園にはいってはいけません、すべり台にはのらない事、あの

子とは、あそばないで、このお友達と遊びなさい、〜〜はいいけど〜〜はダメe t c ーー 私達は、子供の安全や成長を願うあまり、活動を禁止し、指示を多く、与えがちです。
言葉でいわなくても、態度で、いつのまにか、従順である事を要求している事もあるのではないでしょうか。教育は教え育てる事、私達大人が、幼い子供達に事の善悪を教える事は、とても、重要な事です。
しかし、今は、その指示が多すぎるあまり、知らない間に子供達を「指示待ち症候群」にしている場合も多いのです。

「つぎはどうするの?」と自分で考えないで、すぐ母親に聞いていませんか?質問すらしないで、母親の指示があるまで行動を起こさない子供ではありませんか?
危険や失敗を恐れるあまり、子供達にかまいすぎて、子供達にとって大切な経験を子供からうばってはいませんか?
子供たちが、自ら、判断し行動するという事は、一方で危険にあったり 、失敗する場合もあるのですが、試みや失敗をくり返す中で、どう行動すればよいのか、選択する能力を身につけていきます。
転ぶ事もないような、無菌のよい環境で、一生、純粋培養とはいきません。ちいさな怪我やけんかを通して子供達は、大きな怪我から身を守るコツを覚え、人の心の痛みを知る事によって、いたわりやおもいやりの気持をそだてます。
子供は「自分で活動を創造するたくましくすばらしいもの」であるというように、子供達自身を、子供達同志の育ちあいを信頼して、見守る事も大切ではないでしょうか?
今、一度「主体性」というものを考えなおす時期だと思います。この「主体性」を育てるという意味においても、園での体験保育の数々は、意義のあるとりくみといえるでしょう。

自分達の頭で考え、創造し、その事を友達と協力して行動を起こし、活動をしていく中で、自然と主体性や社会性、自立の心が芽生てきます。
ああでもない、こうでもない、ああしよう、こうしようという模索と繰り替えしの中で、自我のぶつかりあい、意見の衝突、ちいさなけんかやいさかいも起こってきますが、その中で主体性を持ちながら、友達の考えも理解し、協力する事の大切さを感じ、チームの中で自ら問題を解決する能力を培っていってくれるのです。どうか、「手を出さず、口を出さず、目を離さず」の言葉のように、添え木としての人的環境の大人が、子どもたちの集団のなかの教育力を信じてあげる事からはじめましょう。
吉塚幼稚園での体験が子供たちにとって素晴らしい「宝」になることを信じて。

 

平成12年4月号巻頭言
「共に育ちあう喜びの心を持って」

園長 高杉美稚子

ご入園、ご進級おめでとうございます。
子供達も、保護者の皆様も、そして、私達職員も、期待と喜びで胸が一杯の春4月がやってまいりました。
半面、大丈夫かなあーと心配や不安も沢山ある事でしょう。その不安が少しでも少なくなるように、そして、喜びがもっともっと増していくように、親と子供と教師と三位一体の協力体制のもと、一生懸命、充実した保育を実践してまいりますので、どうぞ1年間よろしくお願いいたします。
常に、幼児の立場に立って、保育とは何か、幼児にとって幼稚園とは、園生活とは何か、という基本を大切にして、幼児一人一人に充実した幼児期を過ごさせたいと願っています。

その為には、どうしたらよいでしょうか。
幼い子供の教育の為には、家庭との連繋それも、密接なお母様との連繋がなくしてはできません。
親も子供も、「先生だいすき」というこの信頼関係で教育の効果が一層上がるのです。
そして、幼児期は、依存から自立に向かって成長していく過程です。親から次第に離れて、友達の励ましや支えを受けたり、認められる事によって自分の力を貯えてきます。
実感のある体験を通して、幼児自らの経験として組こんでいく楽しさと必要性を知っていく時期でもあります。
大勢の仲間がいて、仲間と一緒に生活を共有し、互いに影響しあって、共に育ち合う喜びを知っていく時期だといえます。
集団生活において、この「共に育ち合う」事が一番大切な事です。
私達、大人は、この「育ちあい」を如何に素晴らしいものに発展させてあげるかの「添え木」にしかすぎません。
しかし、この「添え木」の役目は重大で、この添え方次第で子供の育ちあいの方向が決るといっても過言ではありません。
「手をださず、口をださず、目をはなさず」の言葉通り、子供達の育ちあいをはくぐみ、子供達の育ちあいにまけないよう、感謝の心を持って、親も教師も共に育ちあう1年でありたいと思います。